日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

21グラム/21 Grams(2003年)

21グラム/21 Grams(2003年)監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

評価:★★★★

 

人生はいつ終わるのか


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大学で数学を教えるポール(ショーン・ペン)は深刻な病を患っており、余命一ヶ月で心臓のドナーを待っている。専業主婦のクリスティーナ(ナオミ・ワッツ)は建築家の夫と二人の娘と穏やかで幸せな日々を過ごしている。そして前科者で敬虔なクリスチャンのジャック(ベニチオ・デル・トロ)は、信仰をきっかけに犯した罪から立ち直り、社会復帰して働こうともがいていた。

全く関係のない3人だったが、ジャックが悲劇的な交通事故を起こしたことで、それぞれの人生が一気に交差する。神を信じたにもかかわらず罰を受けたジャック、大切な人を失ったクリスティーナ。そしてポールは事故がきっかけとなり新たな生命を得た。周りの人びとは「それでも人生は続く」と言う。けれども、本当の意味で人生が終わるのはいつなのだろう。…

 

 

 

『21グラム』は2003年製作のアメリカ映画だ。監督は『バードマン』『バベル』のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ。脚本はデビューから『バベル』までタッグを組んだギジェルモ・アリアガが担当している。

イニャリトゥ監督のキャリア初期の作品だが、ある人物から他の人物へ、過去から未来へ、時間も場所も関係なく話をつないでいく同監督らしい作風は既に確立されている*1

 

 

 

もちろんこうした作風は、1994年のクエンティン・タランティーノ監督『パルプ・フィクション』から始まる、物語を直線的に進めない構成の影響を強く受けているのだろう。同作品から2000年のクリストファー・ノーラン監督『メメント』まで、脚本の構成を「めちゃめちゃ」にして観客にインパクトを与える手法が当時大流行していたらしい。

『21グラム』は『パルプ・フィクション』から約10年後の作品ということもあり、時間や場所はさらに目まぐるしく、ダイナミックに動き続ける構成を採用する。例えば、ある1分程度のシーンを20秒ずつ分割し、最初の20秒を流した後一気に違う場面に転換する。新たなシーンもすぐに別の時間軸に移動する。私たちは細切れの意味ある映像をただ観続けている。

何が起こって、なぜ彼や彼女は怒っているのか。さっきまで寝たきりだったはずの男は、なぜ元気に女性を口説いているのか。その原因は後で語られるかもしれないが、もしかすると既に語られたものかもしれない。本当ならわかりやすいはずの因果関係は、説明の順番を入れ替えることによってわかりづらいものになっている。

 

 

 

なるほど、『21グラム』は意図的に、直感的な理解を拒んでいる。複雑な構成ながらメインの粗筋は理解しやすく、「人生はいつ終わるのか」というテーマも明確だが、細部に散りばめられたサブシナリオや所作の理解についてはやんわりと拒絶する。真の意味で作品を理解するためには時間軸に沿った再構成が必要だ。

さて、一番初めに映るオープニングシーンも、作品の時間軸で最終盤に位置する場面だ。インパクトのあるショットから物語が展開し、登場人物にとっては自明だが、観客には分からない「あの事件」が徐々に明らかになる。一つ一つの語り口は冷たく暴力的で、観ていて胸が締め付けられる思いがする。

 

 

 

3人の主人公はそれぞれ違うあり方で人生に苦しんでいる。周りの人びとは無責任に「それでも人生は続くんだ」と語りかけるが、主人公たちは「自分の人生は終わった」と心のどこかで感じている。

『21グラム』は一つの心臓をめぐる物語だ。「人生はいつ終わるのか」というメインテーマも見応えがあるが、個人的にはジャックの信仰と罪をめぐる葛藤や、人工授精についてのポールと妻の対立といったサブシナリオにいっそう魅力を感じた。ただ、先に触れたとおり、イニャリトゥ監督以下『21グラム』の制作陣は、サブシナリオが理解しづらい構成をあえて採用している。

監督たちの照れ隠しなのだろうか。それとも、大切なことは、気付かれないように語る、ということなのだろうか。

2021/08/26

*1:この特徴に関しては編集を担当したスティーブン・ミリオン(『バベル』『バードマン』、『ハンガー・ゲーム』)の貢献が極めて大きい