日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

総集編・オススメ映画記事10選②

日刊映画日記・総集編②/The Daily Movie Diary Omnibus No.2(2021年)

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前回の総集編から4年も経ってしまいましたが、久しぶりの総集編です。

 

1.北北西に進路を取れ/North by Northwest(1959年)

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広告会社を経営する色男ロジャー・ソーンヒルケーリー・グラント)は、取引先との会食中、給仕が「キャプラン様」と読んだ声に誤って反応してしまう。謎の男「キャプラン」を追っていた2人の男はロジャーをキャプランと勘違いし、ロジャーを郊外の屋敷へと誘拐するのだが…

 

「オススメの映画はありますか?」と尋ねられたら必ず紹介する作品。サスペンスの帝王アルフレッド・ヒッチコックの傑作で、観始めたらワクワクが止まらない。計算され尽くしたエンターテインメントを見てみてほしい。

 

2.バベル/Babel(2006年)

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静養のため、モロッコを旅行していたジョーンズ夫婦。夫のリチャード(ブラッド・ピット)と妻のスーザン(ケイト・ブランシェット)は、バスに乗ってモロッコの広大な大地を走っていく。彼らは、自分たちの子どもを亡くして以来、なんとなくお互いを信頼できなくなった。突然、ライフルの銃声が鳴り響いた。驚いたリチャードがスーザンを見ると、肩から大量の血が流れ出している…

 

『バードマン』『21グラム』のイニャリトゥ監督の作品。モロッコや日本、国境を超えた物語が並行して進行し、文化や言語、そして障がいを超えたコミュニケーションを模索する意欲作。公開当時は菊地凛子の世界進出作としても話題となった。
難解なテーマ故に評価は芳しくないが、刺さる人には徹底的に刺さる傑作だ。人とのやり取りがどんどん難しくなっていくコロナ禍、何か生きるヒントを得られるかもしれない作品。


3.天国と地獄(1963年)

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丘の上の豪奢な一軒家、子どもたちが元気いっぱいに遊ぶ声が聞こえてくる。靴会社の常務を務める権藤は、会社の経営権を巡って首脳陣と争いを繰り広げていた。総会対策で大量の資金調達の目処がたった瞬間、今の電話が甲高い音を立てて鳴り響く。受話器を取ると「息子を預かった、三千万円を払え」と身代金を要求された。権藤や妻は動揺するが、そこに元気そうな息子が部屋に入ってくる。胸をなでおろした権藤だが、息子は「友達が見つからない」と話す。誘拐犯は、権藤の息子と友達を間違えて誘拐していた…

 

黒澤明は『七人の侍』や『羅生門』の評価が高すぎて、現代劇の名手であることを見落とされやすい。『天国と地獄』は戦後のビジネスパーソンと、成功を羨む若者世代との衝突を見事に描いた作品だ。富裕層との対立、現在まで残る根深い日本社会の問題をえぐり出したサスペンス映画に仕上がっている。

 

4.Tokyo Idols(2017年)

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千葉県出身、東京で精力的に活動するアイドル、柊木りお19歳。歌手を目指し、アイドルとして修行を続けている。彼女の日常はせわしないが、その表情から笑顔が消えることはない。アイドル活動を続ける彼女と、そのファンクラブ「高まりおブラザーズ」の活動を通じて、広がり続ける日本のアイドル産業の実態をえぐり出す…

 

三宅響子監督の意欲作。海外の視点から日本のアイドルビジネスの問題を描こうとした作品だが、アイドルとそのファンの熱気が、作り手の想定を上回ってしまった。制御できない素材をなお映画に仕立てようとする三宅監督の試行錯誤、そして外野の声なんて気にもとめないアイドルとファンの強いつながり。予想を超えた方向に進むからこそドキュメンタリー映画は面白い。

 

5.タクシー運転手 約束は海を越えて/A Taxi Driver(2017年) 

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1980年5月の韓国・ソウル。タクシー運転手のキム・マンソプ(ソン・ガンホ)は、盛んなデモ活動にうんざりしていた。日々のタクシー収入が生活の糧なのに、学生のせいで仕事がうまくいかない。未払い家賃は10万ウォン。そんな折、定食屋で同僚と話していたマンソプは「外国人を光州につれていって帰るだけで10万ウォン」という仕事を耳にする。定食屋を飛び出し、タクシーに飛び乗り、待ち合わせ場所に向かうマンソプ。10万ウォンの仕事は俺がもらった!…

 

 

1980年5月の韓国で起こった「光州事件」を取材したドイツ人ジャーナリストと、彼に同行したタクシー運転手の物語。政治意識が低く、自分のことで精一杯だったタクシー運転手が、凄惨な「光州事件」を前に立ち上がる作品だ。主役は韓国の最強俳優ソン・ガンホアカデミー賞を獲った『パラサイト』の訪れを予言していたかのような大傑作だ。

 

6.38人の沈黙する目撃者/The Witness(2015年)

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1964年3月13日、ニューヨークでキャスリーン(キティ)・ジェノヴィーズが暴漢に殺害される事件が発生した。被害者は何度も大声を上げて助けを求めたが、38人の目撃者は誰ひとりとして助けようとしなかった。他の誰かがきっと助けてくれるはずだ――「傍観者効果」の例として今も語り継がれるこの事件。50年が経ち、キティの実の弟ウィリアムは姉の死の真相を探り始める。しかし調査を通じて分かったのは、目撃者たちが救助活動に携わっていたという証言だった。「38人の目撃者」たちは本当に「沈黙」していたのか? そうでないとすれば「沈黙」という「事実」を作り出したのは、いったい誰だったのか?

 

アメリカで絶大な影響力を持つ「キティ・ジェノヴィーズ事件」の真相を、キティの実の弟とともに明らかにするドキュメンタリー作品。「見ているだけで何もしなかった38人」という「神話」は、なぜ生まれてしまったのか? 報道によって上書きされ、神話となってしまった真実と、知られざるキティの姿が、関係者の手によってありありと深堀りされる。

 

7.LIFE!/The Secret Life of Walter Mitty(2013年)

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雑誌LIFE編集部のネガ管理部門に務めるウォルターは、勤続16年のベテラン社員。いつも妄想ばかりして、仕事も恋愛もいまいち踏み出すことができない。挙句の果てに出版不況の煽りを受け、LIFE誌の廃刊が決まってしまう。最終号には有名写真家から送られてきた「25番目のフィルム」が採用されることになったが、なぜかそのフィルムが見つからない。こうなったら写真家に会いに行くしかない。わずかな手がかりを元に、グリーンランドに滞在する彼の元に飛んでいくことを決断する…

 

『LIFE!』は成長する男の物語ではなく、もともと持つものを再発見していく物語だ。日々真面目に過ごしていた男に与えられた不運、そこでいかに立ち振る舞うかによって、人生の有り様はどんどん変わってくる。成長しなくても、今あるものを再発見するだけで、世界は劇的に変わる。辛いことが続き、自分を信じられなくなったとき、必ず見たくなる作品。

 

8.ニート選挙(2015年)

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大学卒業後、役者を目指して上京した千尋は、夢を諦め地元に帰ってきた。親の勧めで就職活動を進めるが、100戦100敗、どこも雇ってはくれない。ニートとして生きていた千尋だが、ふとしたきっかけから商店街の活動に携わる。草の根の活動を通じて商店街を変えようとする千尋だが、経験のない自分にできることは少ない。一念発起して出馬し、議会でニートの意見を代弁することを目指し始める…

 

棒読みのキャラクター、映像や編集の冗長さ、崩壊したプロット。ダメな部分を煮詰めたような地方の映画作品。ただ、見返してみると、ダメなりに映画への愛には溢れていて、憎めない。今より少し若かった赤宮が、映画関係では珍しく、感情的にボコボコ書いてしまった記事。

 

9.アメリ(2001年)

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1973年9月3日18時28分32秒、毎分1万4670回ではばたく1匹の羽虫が、モンマルトルの路上に留まった。その時、丘の上のレストランでは、一陣の風が吹いて、魔法のようにグラスを踊らせた。同じ時、トリュデーヌ街28番地の5階で、親友の葬儀から帰ったコレール氏が、住所録の名前を消した。また同じ時、X染色体を持つ精子が、ラファエル・プーラン氏の体から泳ぎだし、プーラン婦人の卵子に到達した。9ヶ月後、アメリ・プーランが誕生した…

 

とにかくお洒落なフランス映画。2019年に亡くなった瀧本哲史先生が「好きな作品」と話していて、亡くなった直後に追悼の意味を込めて観て、書いた記事。

「まさに現実との対決、アメリはそれが苦手だった!」

アメリの自由だ。夢の世界に閉じこもり、内気なまま暮らすのも、彼女の権利だ。人間には人生に失敗する権利がある」

意思決定に強い関心を持っていた瀧本先生だったから、一歩踏み出すか、踏み出さないかで悩むアメリの姿が、とても可愛く見えたんだろうなと想像している。聞いてみたかったな。

 

10.惑星ソラリス/Солярис(1972年)・ソラリス/Solaris(2002年)

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地球から遠く離れたところ、海と雲に覆われた惑星ソラリス。心理学者のクリスは単身宇宙に上がり、ソラリスを観測する宇宙船「プロメテウス」の調査に赴く。宇宙船では友人のギバリャンが既に自殺していた。彼の死の真相を探るクリスだが、乗組員からは「やがてわかる」という的外れな答えしか得られない。疲れ果てて眠るクリス。するとどこからか美しい女性が現れ、クリスは彼女を優しく受け入れる。意識が目覚めるにつれ、これは異様な事態だと気づく。地球から遠く離れた「プロメテウス」で、どうして自分はなくなったはずの妻を抱きしめているのだ…?

 

スワニスタフ・レムの傑作SF小説ソラリス』を映画化した2作品。人間と惑星との対話を模索したレムと、原作小説を舞台装置としか考えなかったタルコフスキー。2人の天才の衝突、そしてレムの意図を再確認しようとしたソダーバーグの苦悩。ソラリスとは一体何だったのか? 映画はそのてがかりを与えることができたのか? 2016年に発表されたみつきゃすたーの楽曲、『ソラリス』に刺激されて書いた記事。

 

 

 

さて、久しぶりに2週間ほど連続更新してみました。映画へのモチベーションを高めるための取り組みでしたが、個人的に感想くださった読者の方々、本当にありがとうございます。励みになりました。
おかげさまで本業も趣味の案件も山積みになってしまったので、また不定期更新に戻ろうと思います。週に1回以上は映画見て、引き続き書きたいな…と考えています。またお会いしましょう。

 

(プロジェクターを買ってから自宅映画ライフが捗りまくっています)

 

2021/9/5

北北西に進路を取れ/North by Northwest(1959年)

北北西に進路を取れ/North by Northwest(1959年)監督:アルフレッド・ヒッチコック

★★★★★★

 

 

 

紛うことなき傑作


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◯あらすじ

広告会社を経営する色男ロジャー・ソーンヒルケーリー・グラント)は、取引先との会食中、給仕が「キャプラン様」と読んだ声に誤って反応してしまう。謎の男「キャプラン」を追っていた2人の男はロジャーをキャプランと勘違いし、ロジャーを郊外の屋敷に誘拐する。屋敷の主たちはキャプランというスパイから情報を引き出そうとしており、ロジャーは執拗に尋問を受ける。もちろんロジャーには何も答えられない。業を煮やした男たちはロジャーを殺害すべく、大量の酒を飲ませた上で車を運転させた。

しかし、ロジャーは並外れて酒に強かった。泥酔しながら何とか事故なく車を運転していたが、最後にはパトカーに見つかり逮捕されてしまう。無実の罪を晴らすべく奔走するロジャーだが、郊外の屋敷に手がかりはない。追っ手から逃げつつ「キャプラン」を探すが、さらには殺人の罪まで着せられてしまう。追っ手や警察から追跡される身となったロジャーは、すがる思いで「キャプラン」が向かったというシカゴ行きの電車に飛び乗る。…

 

 

 

北北西に進路を取れ』は1959年公開のアメリカ映画で、監督はアルフレッド・ヒッチコック

ヒッチコックは『めまい』『サイコ』などで知られるサスペンス・スリラー映画の名手で、「サスペンスの帝王」との異名を持つ。ヒッチコックはイギリスで多くの映画を手掛けた後ハリウッドに渡り、1940年代から70年代にわたり数々の傑作を生み出した。

中でも1958年の『めまい』、1959年の『北北西に進路を取れ』、そして1960年『サイコ』はヒッチコックの全盛期として名高い。ヒッチコックが確立したサスペンス――観客の不安や緊張を呼び起こし、スクリーンに釘付けにする技術――はこの三作品で頂点に達した。虚実入り交じる幻想的な表現で心を掴む『めまい』や、あらゆるスリラー映画に影響を与えた「シャワーシーン」を生んだ『サイコ』など、現代映画におけるサスペンスの源流を作った偉大な作品群だ。

 

 

 

さて、「日刊映画日記」は今回の100回目の更新を迎える。節目の記事には『北北西に進路を取れ』を選んだ。この映画は、赤宮がこれまで観てきたすべての映画の中で、最高の一本と呼ぶにふさわしい作品だ。

テーマ、演出、脚本、俳優。どの点をとっても素晴らしい作品だが、何より特筆すべき点は、『北北西に進路を取れ』がエンターテインメントとして優れていることだ。つまり、誰に紹介しても面白い。誰が観てもハラハラ・ドキドキできる。かつ、映画として極めて優れている。完成度の高さと面白さをここまで両立できている作品は他にないと言って間違いない。

 

 

 

ブログを書いていて難しいのは、自分にとってのオモシロイ、必ずしも読者にとってオモシロイ、ではないことだ。

カメラの使い方が面白い、独特な作品があったとする。赤宮はCanted Angleが大好物なのだが、その面白さをどうやって言葉で伝えればいいのか。カメラを傾けて撮っているだけ。確かに観て不安になる、あるいはワクワクするかもしれないが、その作品を観ていないブログ読者に、その面白さを伝えることは難しい。

「ヌルヌル動く」アニメーションはワクワクする、神作画だ、と言いたくなるけれど、神作画であることについて、自分の心がどのように動いたか、その感動そのものを伝えることは難しい。

もちろん言葉を尽くして、ありのままに感じたことを綴ることはできる。だがそれは果たして映画の紹介だろうか? 読んでくれた人たちが、その映画を見よう、と思ってもらう動機になりうるだろうか?それは単なるポエムになってしまうのではないか、と感じてしまう。

ポエムでいいという考え方もあるだろう。しかし、もともと伝えることを仕事にしていて、客観的に物事を見て、それでいて魅力を伝えるのが自分の持ち味だ。

ブログであるからといって、感想を述べるだけの場所にはできない。せっかくアクセスしてくれたのだから、何か一つ持って帰ってもらいたい。今度NetflixAmazon Prime Videoを開いた時に、そういえば赤宮があんな映画を紹介してたなと思ってもらいたい。そういう文章でありたい、否、そうでなければならないと思っている。

 

 

 

閑話休題

北北西に進路を取れ』が素晴らしいのは、その魅力を語り尽くし、言葉を使って他人に紹介できるところだ。

なぜ、それが可能なのか? それは、ヒッチコックという偉大な監督が、作品の始まりから終わりまで、一瞬も妥協することなく映画作品を作り続けているからだ。

 

 

 

オープニングシーンを観てもらいたい。


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もう、センスの塊である。

バーナード・ハーマンの音楽に合わせてライオンが唸り、グリーンバックの背景に差し込む形で、奥行きのある格子模様がスッ…と描かれる。キャスト一覧は格子模様に合わせて行き交い、音楽が進むにつれてゆっくりと格子模様が高層ビルに置き換わる。そう、格子模様はビルにずらりならぶ窓を撮影したものだったのだ! 空想で描いた幾何学的な模様が、実は身の回りに存在していることを意識させられてしまう。窓ガラスにはニューヨークの街を走る車が映り込む。そして流れるように場面は転換し、人混みを映していく。

もう、完璧である。この動画だけで多分100回は観ている。

 

 

 

オープニングで流れたメインテーマはその後も思わぬシーンで使用され、『北北西に進路を取れ』を象徴するテーマソングとなっている。最初に聞こえた音楽に特別感があると、「この作品は特別なんだ」という気持ちになってしまうものだ。ヒッチコックは他の作品でも非常にオープニングの使い方が上手いが、『北北西に進路を取れ』はその中でも1、2番を争う出来だろう。

 

 

 

そして現れる主人公、ケーリー・グラント演じるロジャー・ソーンヒル。当時既に50代半ばだが、年齢を全く感じさせない色男である。とにかく女性にもてる二枚目だが、重度のマザコンで2回の離婚歴がある問題児だ。よくよく聞いてみると彼の発言の節々には「母」を意識したものが多く、単なるヒーローではないことがすぐに分かる。

ヒッチコックの作品の特徴は、主人公たちが性格や価値観に何らかの問題を持っていることだ。のぞき見大好きな『裏窓』のジェフ、メンタル面が弱すぎる『レベッカ』のレベッカ。『ロープ』のブラントンはニーチェの理論を証明するために人殺しまでするとんでもない男だ。とにかく一筋縄ではいかない人物が主人公になる。

だが彼や彼女たちは、欠点があっても観客の共感を得てしまうような人物ばかりだ。考えてみれば、私たちの周りにも居ないだろうか。とんでもない欠点、性格上の問題点を持っているにも関わらず、どうしても付き合いを辞められない問題児。飲みに誘われるとついつい同行してしまう友人。別れてからもついつい会ってしまう恋人。いつもお金を無心してくる親戚。

ヒッチコックはこの辺りの「愛すべきダメ人間」を主人公に据えるのが非常に上手い。『北北西に進路を取れ』で主役を務めたケーリー・グラントはハリウッドを代表する二枚目俳優だが、実はとても扱いが難しい人物でもある。イケメンすぎる、いい男すぎるがゆえに、観客の妬みを買ってしまうからだ。ヒッチコックはその匙加減が抜群に上手い。ケーリー・グラントに「マザコン」という要素を足すと、彼がいくら美女をたらしこもうと、なぜか共感できる、「残念な側」の人間であると感じられてしまうわけだ。

 

 

 

そんな主人公ロジャーを相手にするイヴ(エヴァ・マリー・セイント)も難しい人物だ。見た目麗しい20代の美女*1で、ロジャーを誘惑し物語をかき乱す。言葉遣いが上手で会話が好きな女性で、あらゆる葛藤を一人で引き受けていたことが後に明らかになる。

脇役のキャラもいい。悪役のヴァンダムもいいが、個人的にはヴァンダムの手下のレナードが好きだ。上司と手下という関係以上の感情を抱いているように見え、エヴァに嫉妬し、もやもやした鬱憤をロジャーやエヴァにぶつけようとする。登場シーンこそ少ないが存在感は大きい。クライマックスの彼のシーンは何度観ても惚れ惚れする演技だ。

 

 

 

まだまだ語りたいところは多いのだが、ネタバレ防止ということもあるので、『北北西に進路を取れ』の最も素晴らしいところに触れて終わりにしよう。

ヒッチコックはなぜサスペンスを追求したのか。彼はかつて、フランソワ・トリュフォーとの対談で、「サスペンスとサプライズの違い」について以下のように語った。

(『Hitchcock/Truffaut』より。和訳して引用)

 

「私たちの目の前のテーブルの下に時限爆弾が仕掛けられていたとしよう。しかし、観客も私たちもそのことを知らない。突然、爆弾が爆発する。観客は不意をつかれてびっくりする。これがサプライズだ。サプライズの前には平凡なシーンが描かれただけだ」

「では、サスペンスが生まれるシチュエーションはどんなものか。観客はまずテーブルの下に爆弾がだれかに仕掛けられたことを知っている。爆弾は午後一時に爆発する、そして今はその十五分前であることを観客は知らされている」

「(すると)つまらないふたりの会話がたちまち生きてくる。なぜなら、観客が完全にこのシーンに参加するからだ。スクリーンの人物たちに向かって、『そんなばかな話をのんびりしているときじゃないぞ!爆発するぞ!』と言ってやりたくなるからだ」

「結論としては、できるだけ観客には状況を知らせるべきだということだ。サプライズをひねって用いる場合、つまり思いがけない結末が話の頂点になっている場合をのぞけば、観客にはなるべく事実を知らせておくほうがサスペンスを高めるのだよ」

 

ヒッチコックのサスペンスの真骨頂は情報量のコントロールにある。

北北西に進路を取れ』では、開始から約40分が経過したシーンで、ある極めて重要な「種明かし」が挿入される。極度のネタバレなので詳細は避けるが、それを演出するかしないかで、その後の物語の性質が大きく変わってしまうものだ。にもかかわらず、ヒッチコックはあっさりと秘密を教えてしまう。物語全体で最も大切であったかもしれない謎を、本来ならありえないタイミングで教えてしまう。

それが最も面白いからだ、とヒッチコックは知っている。あるいは、それが最もサスペンス――観客の不安と緊張を煽るもの――を高めるからだとヒッチコックは知っている。『北北西に進路を取れ』はともすれば単なる探偵物語だったかもしれない。それがたった数分の「種明かし」を挿入しただけで、並ぶもののない傑作へと開花したのだ。

 

 

 

そしてさらに驚くべきことに、この「種明かし」に並ぶようなサスペンスの数々が、『北北西に進路を取れ』には多数込められている。観客の心を揺らし、不安を煽り、緊張感を高めることに全てを捧げた巨匠の、磨き上げたサスペンス技術の数々が、この作品には込められている。

 

 

 

紛うことなき傑作である。

2021/09/04

*1:設定上は20代なのだが、エヴァ・マリー・セイントは当時30代後半!全く感じさせないのがすごい

ルパン三世 カリオストロの城(1979年)

ルパン三世 カリオストロの城(1979年)監督:宮崎駿

★★★★★

 

 

 

文句なしのエンターテインメント


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◯あらすじ

国営カジノから大金を盗み出したルパン三世一味は、手に入れた金が本物同然の偽札であることに気づく。ルパンと次元は贋金を放り捨て、その金の出処とされるカリオストロ公国に向かう。国に入り道を走っていると、ウェディング姿の女性が怪しい男たちに車で追われている場面に遭遇する。ルパンは追手を撃退し、その女性クラリスがかつて自分を救ってくれた女の子であったことを認識する。

ルパンは崖から落ちて気絶し、その間にクラリスは追手たちに誘拐されてしまった。追手を差し向けたカリオストロ伯爵は、クラリスの身柄を確保するが、彼女が持っていたはずの指輪を発見できない。伯爵は指輪を取り戻すべく、ルパンたちに暗殺者を差し向ける。…

 

 

 

ルパン三世 カリオストロの城』は1979年公開のアニメ映画で、監督は宮崎駿

 

 

 

宮崎監督のアニメはいつみても構成の完成度が高く、本当にノーストレスで鑑賞できる*1。『カリオストロの城』もわかりやすくて面白い。金庫泥棒の短いオープニングは一瞬で物語の背景を説明してくれるし、『ルパン三世』初見の観客にも一瞬で前提を理解させてしまう。

続くシーンも驚きの連続だ。画面を縦横無尽に駆け巡るカーチェイス、ピストル一つとっても発砲が小気味良い。要塞として君臨するカリオストロの城に入ってからも、ギミック入り乱れる城内を探検するルパンや銭形警部の姿がなんだか楽しい。

 

 

 

…とまあ、正直言うと、余り言うところが無いのだ。

宮崎監督が半年強という強行スケジュールで本作品を仕上げたことから分かる通り、『カリオストロの城』はとてつもなく素晴らしい作品で、それ以上もそれ以下でもない。

一つ一つのシーンや構成を褒めることは出来るけれども、そこに赤宮なりの切り口を加えることがとても難しい。ストーリーの流れは単線的かつわかりやすく、画面構成にも批判すべきポイントが(少なくとも目に見える形では)存在しない。一回観ただけでは絶賛するしかなかった。

 

 

 

ただし、オリジナルアニメでないということもあってか、後年の宮崎監督作品に比べると、思想や価値観の表出があまり観られない。原作の『ルパン三世』に比べて、登場人物たちの毒は薄く、行動も倫理的だ。ルパンたちは規範に沿った正しい行動をしていて、泥棒らしい、犯罪者らしい行動は選択しない。

いわゆる「原作モノ」の作品として批判されるポイントだったのかもしれない。40年近く昔の作品なので、今更当時の批判を確認することも難しいが。

 

 

 

久々にいいアニメをみて、お腹いっぱい。そんな気分だ。

 

2021/09/03

*1:例外は『風立ちぬ

呪怨 劇場版(2003年)

呪怨 劇場版(2003年)監督:清水崇
★★

 

人間と幽霊以外がほんとうに怖い


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◯あらすじ
介護施設でボランティアする理佳(奥菜恵)は、社員の依頼で寝たきりの老婆を訪問した。ゴミで溢れた老婆の自宅を掃除していると、2階から妙な物音が聞こえることに気づいた。音の出処をたどったところ、そこにはガムテープで封印された押し入れがあった。中から子どもの声を聞いた理佳が慌てて戸を開くと、中には黒い猫、そして傷ついた子どもの姿があった。…

 

 

 

呪怨 劇場版』は2003年公開の日本のホラー映画だ。1990年代のジャパニーズ・ホラーの流れをくむ作品で、霊の印象的なキャラクター、そして妥協しない恐怖表現により、若者を中心に幅広く支持を集めた作品だ。低予算のVシネマとして始まったが後にシリーズ化し、現在でもNetflixが作られるなど息の長いホラー映画として知られている。

本作はビデオ版と呼ばれる2本のVシネマの続編となっている。Vシネマとは最初から映画館公開を前提とせず、ビデオテープのソフトとしての発売のみを想定した作品群だ。ビデオデッキが普及した1990年代には数多くのVシネマが作られ、低予算ながら意欲ある多くの映画作品を生んだ。『呪怨』を手掛けた清水崇監督をはじめ、現在映像業界で活躍する俳優や監督にもVシネマ出身者は多い。

 

 

 

Vシネマの制作費は広告費込みで数千万円程度だったとされる。劇場映画に比べ大掛かりな撮影は難しく、俳優を長期間拘束するドラマ作品も難しい。したがってVシネマで扱うジャンルは特定分野に集中しており、最も有名なのは極道物、簡単にいうとヤクザ映画だ。必要なセットが少ないギャンブル物も多く作られたという。

そんな中、同じく低予算で発展したのがホラージャンルだ。映画史において1990年代の日本映画は「ホラーの時代」とされ、『リング』『らせん』などのホラー作品が世界各国に影響を与えた。国内でも「TSUTAYA」「ゲオ」などレンタルビデオ店の主力商材とされていたが、劇場公開される映画では十分な供給数を確保できない。したがって中小規模の制作会社がこぞってホラー映画を制作し、業界全体で「ジャパニーズ・ホラー」のノウハウを積み上げていった形になる。

 

 

 

話が横道にそれたが、『呪怨』の映画版には、そうしたVシネマの普及が前提にある。劇場版ではあるがビデオ版と同様、低予算映画の作り方が念頭にある様子で、出来る限り小細工を避け、演出で怖がらせてやるぞ、という強い意思を感じる作品だ。

 

 

 

呪怨 劇場版』の見どころは序盤から連続するホラーシーンだ。

主人公の理佳が恐る恐る階段を登るシーンのカメラワーク、突然現れる男児の演出。そしてなにより音楽。正直いうと奥菜恵の演技は決してよくないのだが、制作側でなんとでもしてやるという気概が感じられる。観客の視線よりもゆっくりカメラを動かし、溜めて溜めて溜めまくる演出。分かっていても、怖がる気持ちは抑えられない。

冷静に『呪怨 劇場版』を見返してみると、構成するシーンのほとんどは何の変哲もないショットだ。奥菜恵が押入れの前で逡巡しているだけだし、散らかったキッチンをミドル・ショットで撮影しているだけだ。ただしそれが『呪怨』の文脈にハマった瞬間、押し入れは得体のしれない存在に見えるし、キッチンのゴミは次のシーンの伏線に見えてくる。

 

 

 

映画は観客の注意力をつなぎとめ続けるものだ、といったのはヒッチコックだったか*1。徹底的に演技指導した俳優を使って観客を魅了したのがヒッチコックならば、ジャパニーズ・ホラーは画面全体で観客の関心をつなぎとめる作品群だ。

呪怨』の手にかかれば押し入れは怪物の住処に見えるし、仏壇は地獄への入り口に見える。印象的なキャラクターたちに惑わされがちな『呪怨』だが、よくよく見ると、人間も怪物も居ないところに本当の恐怖が存在している。

 

 

2021/09/02

*1:マジでうろ覚え。間違っていたら教えて下さい

コンドル/Only Angels Have Wings(1939年)

コンドル/Only Angels Have Wings(1939年)監督:ハワード・ホークス

★★★★

 

 

 

職業監督だから良いのだ


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◯あらすじ

ニューヨークで働くボニー(ジーン・アーサー)は、南米でのショー出演を終えた船の帰り道、エクアドルの港町バランカに立ち寄る。バランカで意気投合した2人のアメリカ人パイロットと交流するボニーだが、パイロットのうちの1人が飛行機事故で還らぬ人となってしまう。ボニーはパイロットの死を悲しむ一方で、彼の上司ジェフ(ケーリー・グラント)は笑いながら酒を飲んでいた。

飛行機乗りで他人の気持ちを慮らないジェフの態度に苛立ちつつも、ボニーは一流のパイロットとして猛烈に働くジェフに惹かれていく。乗る予定だった船を見送り、ボニーは追加で一週間、ジェフたちとともに過ごすことを決断する。…

 

 

 

『コンドル』は1939年のアメリカ映画で、監督はハワード・ホークス。1930年代の飛行機業界において、命がけで働く男性パイロットたちの姿を描いたドラマ作品だ。主演はケーリー・グラントが務め、色気ある「出来る男」をしっかりと演じている。

赤宮はハワード・ホークスが好きだ。当ブログでも過去に『ヒズ・ガール・フライデー』を取り上げた。

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ホークスは多作で知られ、ドラマから西部劇、果てはSFまで手掛けてしまう職業映画監督だ。ミドル・ショットを多用した画面構成で安定したドラマを作り上げ、語るべきストーリーを過不足なく語り尽くす。その手法を悪く言えば、特徴がないと評価することもできる。生前もしばしば商業主義的と評され*1アカデミー賞など主要な映画賞も、晩年のアカデミー名誉賞を除いて縁がなかった。

それでも彼の作品は圧倒的に面白い。『ヒズ・ガール・フライデー』もミドル・ショットを多用し、とにかく登場人物たちのテンポの良い会話と展開を楽しむ作品だった。西部劇にトドメを刺した『リオ・ブラボー』は、射撃の演出一つとってもワクワクする場面でいっぱいだ。掛け合いとアクション、映画の基本的な面白さがホークスの作品には詰まっている。

 

 

 

前置きが長くなった。

『コンドル』はニューヨークのショーガールと、エクアドルで会社を経営する一流パイロットの恋愛模様を描いた作品だ。開始20分で目まぐるしく登場人物が入れ替わる迫力ある展開や、飛行機事故を何度も描き、それでも飛び続けようとする男たちの活躍を描いた作品だ。

これがもう、とにかく面白い。ホークスは職業監督だから、変な間合いをつけない。変なアート心を加えない。変な展開を持ってこない。観客が期待した展開を、一番面白いやり方で演出する。これぞエンターテインメントだというやり方でストーリーを進めていく。

 

 

 

個人的に『コンドル』で好きなポイントは、主人公やヒロインたちが、わかりやすい形で成長しないことだ。作中時間で1周間前後、短い間に人生は大きく変わらない。生半可な成長物語に仕立てない。主人公は最後まで飛行機狂のままだし、ヒロインも芯が強く聡明な女性のままだ。二人の恋愛は心変わりや成長が原因ではない。お互いが変わったのではなくて、お互いを知ったから歩み寄ったに過ぎない。

この辺りの妙なリアル感。ハワード・ホークスに登場する人物たちはみんな頭が良くて、見た目が良くて、互いに譲らない。けれども最後にくっついてしまう。傍から見れば妙な話だけれども、よくよく考えてみれば、こういう「妙な恋愛」が身の回りに溢れている気もする。

 

 

2021/9/1

*1:当のホークスも、自分自身を「自分は職業監督だ」と評価している

ジョーズ/Jaws(1975年)

ジョーズ/Jaws(1975年)監督:スティーヴン・スピルバーグ

★★★★

 

映画作りが上手すぎる


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◯あらすじ

アメリ東海岸のアミティ島。海水浴客が夜の海で変死した事件を受けて、警察署長のブロディ(ロイ・シャイダー)は調査を開始する。検死の結果人食いザメによる殺傷の可能性が浮上し、ブロディは海水浴場の閉鎖を求めて奔走するが、観光収入を守りたい市長や職員の反対に遭う。海水浴客の事件は「ボートスクリューによる事故死」と処理されるが、今度は真っ昼間の海にて、大勢の目撃者がいる前で子どもがサメに殺されてしまう。

事態の悪化を受け、漁業者たちがサメ狩りに乗り出す。幸いすぐに大きなサメを捕獲したが、海洋学者のフーパー(リチャード・ドレイファス)は「これは人食いザメではない」と断言する。ブロディとフーパーは市長に海水浴場の封鎖を再度求めるが、事態を収束させたい市長はその申し出を断る。そして7月4日の独立記念日。浜辺にはたくさんの観光客が集まって海水浴を楽しんでいた。…

 

 

 

ジョーズ』は1975年公開のアメリカ映画で、監督は後の巨匠スティーヴン・スピルバーグ。キャリア初期の作品で、スピルバーグは若干26歳で同作品を完成させた。人食いザメが人びとを襲うシンプルでわかりやすいコンセプトを打ち出しており、現代にまで続くハリウッド大作映画ビジネスの原型となった作品でもある。アカデミー賞も複数部門で獲得している。

パニック映画の代表作としても知られ、(おそらくスピルバーグの意図に反し)「サメ映画」というジャンルを築いた功労者(?)でもある。大型映画を撮影する例はそれまでになく、若きスピルバーグが情熱と勢いを持って作り上げた作品だ。 

 

 

 

ただ、実際に鑑賞すると、単なる「パニック映画」ではないとわかる。

作品の前半では、島に突然現れた人食いザメへの対応を巡る泥臭い人間ドラマが展開される。この段階では人食いザメは「怪物」というより「事件」に近く、島の警察としてどう対応するか、いかに市長や関係者を説得するかという場面に多くの時間が割かれる。主人公のブロディとフーパーは「探偵と助手」のようなコンビで、死体やサメを解剖し、真実にいたろうとする姿は探偵ドラマそのものだ。

一転、後半では船に乗り、ブロディとフーパーはサメ・ハンターという新たな仲間を加えて人食いザメの討伐に出かける。前半に比べると人間関係が狭く、その分立場や考え方の違いが鮮明になる。時には酒を飲みながら、共通の敵である人食いザメをどうやって倒すか。状況に応じて最善を尽くす「海の男」の姿が描かれる形だ。

 

 

 

ハズレ作品も数多く存在する「パニック映画」と「ジョーズ」を隔てる違いは、スピルバーグらによる丁寧な演出だろう。前半部では数多くの人物を同時にスクリーンに収め、後半部では船上という狭い舞台をこれでもかと撮り尽くす。人食いザメについても脅威は最大限伝わるよう、ヒッチコック的なサスペンスのエッセンスがふんだんに盛り込まれている。

思うに、「ジョーズ」はサメを主役として扱いつつ、決してサメを撮ることを目的としていない。サメはあくまで強大な舞台装置であり、人びとがサメにどう立ち向かうか、サメがなにをもたらしたかに焦点が当てられている。人食いザメは確かにスクリーンの主役だ。しかし「ジョーズ」が描くのは、その脅威だけではないのだ。

 

 

 

わがままを言うなら、前半の人間ドラマをもっと観ていたかった。数え切れない人びとが統率され、画面を演技で埋め尽くす姿は、サイレント時代の白黒映画を彷彿とさせる。しかし「ジョーズ」に求めるべきはやはり後半のパニック映画の要素なのだろう。映画の伝統を引き継ぎつつ、ハリウッド大作主義の礎を築いた。スピルバーグは当時26歳、まごうことなき天才の仕事である。

 

2021/8/31

キルトに綴る愛/How to Make an American Quilt(1995年)

キルトに綴る愛/How to Make an American Quilt(1995年)監督:ジョスリン・ムーンハウス

★★★

 

間違っても笑い飛ばせばいい


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○あらすじ

大学院生のフィン(ウィノナ・ライダー)は修士論文の執筆に苦戦している。何度もテーマを変え、選んだテーマ「女性の手仕事」。休暇も兼ねて祖母ハイ(エレン・バースティン)の家に帰省したフィンは、祖母の姉グラディ(アン・バンクロフト)ら個性的な老女たちと交流する。7人の老女は共同でキルトを作るために集まっていた。送り主は、恋人のサム(ダーモット・マローニー)にプロポーズされたフィンだ。

老女たちは恋愛の名手ばかりだ。例えば、サムと喧嘩したフィンが相談を持ちかけると、彼女たちは昔の恋物語について楽しそうに語ってくれる。浮気や不倫、一夜限りの恋。遠い過去を味わい、老年期を楽しむ女性の姿に、フィンは学びを深めていく。

一方、論文執筆もうまく進まず悩みを抱えるフィンの元に、プールで知り合ったレオン(ジョナサン・シェック)がやってきた。「畑で取れたいちごを食べよう」と誘うレオンに連れられて、二人はデートに出かける。…

 

 

 

『キルトに綴る愛』は1995年公開のアメリカ映画だ。恋人にプロポーズされ、今後の生き方に悩む女性フィンに、彼女を見守る7人の女性たちが自身の生き方を通じて助言を授ける物語だ。切端をつなげて作るキルトの生地に、くっついて離れる人間関係を重ね合わせ、女性たちの生きる姿を生き生きと語る構成になっている。

主演のフィンを演じるのはウィノナ・ライダー。『ブラック・スワン』や『ストレンジャー・シングス』で見せた円熟味ある演技とは異なり、ボーイッシュなアイコンとして活躍していたころの勢いある姿を見せている。祖母や母の時代と異なり、自立した女性として描かれたフィンは、恋人の強い要望にも「ノー」と応えられる人物だ。ウィノナ・ライダーはこの(当時としては)新しい女性像を、力強くかつ女性らしい肢体を持って鮮やかに演じている。

 

 

 

物語の舞台となるのは1990年代のカリフォルニアの田舎だ。しかし一方で多くの回想シーンが含まれる。観客は主人公のフィンと同じ視点から、老女たちの過去の恋愛模様を振り返っていく。

この「恋愛模様」がとにかく赤裸々だ。夫の死期が近づいているのに、姉の夫と不貞を働いてしまったハイ。ハイと夫の裏切りに怒り、家中の割れ物を割り尽くしていくグラディ。召使いながら高貴な男性の子供を身ごもったアンナに、夫の浮気に苦しみ続けるエム。

人生を味わい尽くした女性たちは、過去の失敗や出来心にとにかく寛容だ。悲しみや怒りは感じたけれど、今では気にしていない。苦しかったけれど、たしかに起こってしまったものと認めて、「恋愛模様」としてキルトに織り込んでいく。最終盤、フィンにプレゼントされたキルトには、7人の女性たちが経験した各々の恋愛模様が象徴的に綴られている。

 

 

 

ジャンルとしてはドラマ作品で、脚本の話運びがとても丁寧だ。登場人物の会話は穏やかで聞きやすく、構成上も無理がない。それぞれが経験した過去の恋愛や葛藤もきれいに解決される。登場する男女たちはそれぞれくっついて離れて、あるべき場所に戻っていく。

 

 

 

『キルトに綴る愛』で描かれた老女たちは力強く生きながら、過ぎ去った過去の日々を懐かしく思っている。それでも、他人とくっついたり、離れたり、そしてまた出会ったり。目まぐるしく変わる人間関係は、決して心地がいいだけのものではない。私たちもいつかは、老女たちのように、過去を懐かしく振り返るときが来るのだろうか。

 

キルトに綴る愛(吹替版)

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2021/08/30