日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

Tokyo Idols(2017年)

Tokyo Idols(2017年)監督:三宅響子



アイドル文化が「あなた」を飲み込む

 

 

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千葉県出身、東京で精力的に活動するアイドル、柊木りお、19歳。歌手を目指し、アイドルとして修行を続けている。毎日の動画配信、各地で行われるライブ活動など、彼女の日常はせわしないが、その表情から笑顔が消えることはない。

そんな彼女を「追いかける」ファンクラブ、「高まりおブラザーズ」。ファンクラブの活動を牽引するコージさんは、ある出来事をきっかけにアイドルライブ通いを始めるようになり、一時期は年間700本ものアイドルライブに足を運んでいたという。「マンション買えるくらいは使いましたね」と語るコージさんの顔は、とても穏やかで、この上なく幸せそうだ。

日本のアイドル市場は1000億円超の規模にまで膨れ上がっており、その成長はとどまるところを知らない。なぜ、現代の日本で、これだけアイドルが愛され、これだけ大きな市場が生まれているのか。その当事者、アイドルとファンに焦点を当てつつ、多方面の専門家の知見を交え、その実態を探り出す。…

 

 

 

全身を使って声を張り上げるアイドル、ファンTシャツを身にまとったファンの人びと、暗闇の中光るサイリウム、響き渡る音楽…

こうしたアイドル文化は、日本でもはや当たり前の光景になってしまった。AKBの選挙は文字通り全国民が注目するイベントになっているし、「趣味が地下アイドルです」と堂々と自己紹介する人びとの姿も目立つ。かつてはアイドルオタクと言えば一種の迫害の対象であった気すらするが、それがこれだけ市民権を得てきたのは、アイドルとファン、そしてそれを支える人びとが一丸となって産業を広げてきた点にあるように思う。

 

『Tokyo Idols』は、そうした急激なアイドル産業の中心、アイドルとファンの関係性に着目して作られた作品だ。タイトルを意図的に英語表記している点をふまえると、日本国内に向けたドキュメンタリーというより、どちらかというと海外にアイドル文化の特殊性を伝えることを意図して作られた作品だ。*1アイドル産業の関係者だけでなく、フェミニズムの立場からジャーナリストや社会学者の批判を設けているところも、英米によくある、賛否両論の双方から作品構成を行うドキュメンタリー形式を踏襲していると評価できる。

プロットは東京のアイドル柊木りおの活動をほぼ時系列順に追ったものと、今日のアイドル産業を象徴するとされる映像が交互に挿入されていく形で進んでいく。後者では日本に馴染みのない外国人の視聴者を想定し、「アイドル握手会の光景」「児童アイドルへのインタビュー」「CDを買いまくるアイドルオタク」などの姿がどんどん盛り込まれていく。赤宮はほとんど全くといっていいほどアイドルに馴染みがないので、こうした基礎的知識を与えてくれる映像は、作品を理解するのにとても役立った。

他方で前者、柊木りおの活動の様子も、アイドルとファン、相互の視点から丁寧に描写されている。一つ一つのイベントごとにアイドル側の思いとファン側の思いがぽつりぽつりと描写され、イベント全体の熱気が直に体験できるようになっている。更に取材はアイドルの家族、ファンの私生活にまで及び、それぞれがアイドル文化からどのように力を得て、毎日の生きる糧にしているのか、が力強く描かれている。

 

『Tokyo Idols』のテーマの一つは、アイドル文化を手放しで賛美することではなく、その異質性、問題点を手厳しく批判することだ。先に述べたジャーナリストや社会学者のインタビューでは、アイドルとファンの関係性が社会にもたらす悪影響、女性蔑視の象徴としてのアイドル文化への批判などが手厳しく織り込まれている。

こうしたインタビューの選び方を見る限り、三宅響子監督は、アイドル文化を性とジェンダーフェミニズムの見地から批判したかったのだろう。一部のインタビューで繰り広げられる批判は感情のこもったかなり激しいもので、それまで幸せそうなアイドルとファンの顔ばかり見ていた観客からすると、少々驚いてしまうくらいの迫力に満ちている。彼らの批判はかなり本質を突いているところがあり、『Tokyo Idols』の観客に対して、アイドル文化を批判的に見るような視点を提供することに成功している。

他方で、インタビューを受けるアイドルファンの一人ひとりが、とにかく無理矢理な理由付けを行いがちなところも、批判的な視点を養うことに貢献している。素直に「女の子が好きです」といえば良いところを、彼らは「頑張っている姿を応援したい、恋愛感情とかそういうものじゃない」と言ってしまう。そんな言い訳、ある種の胡散臭さが、先の批判の説得力を裏付け、アイドル文化への批判を駆り立てるための材料として機能している。

 

しかし、面白いことに、これらの批判は、当のアイドルとファンたちには全くといっていいほど機能しない*2のが、『Tokyo Idols』の面白いところだ。

外野でいくらジャーナリストや学者が叫ぼうと、アイドルは今日もライブを続け、ファンはそこに足を運ぶ。そして皮肉にも、『Tokyo Idols』の撮影期間を通じて、柊木りおはなんとメジャーデビュー、単独でのZepp Tokyoライブまで成功させてしまう。「アイドル産業に関わる人びとは間違っている」とでも言いたげな批判が繰り返される裏で、アイドルは成功を修め、その姿にファンは歓喜する。誰かにいくら批判されようが、ここでは誰もが幸せだ。

 

 

 

さて、色々な面から『Tokyo Idols』を色々な面から語ったところで、この作品の一番ヤバいところ…現実との連続性について触れておこう。

この作品を見始める観客というのは、おそらくアイドル文化に関心がないが、社会勉強として知ってみたい、遠くから見てみたい、といった興味がある人びとなのだろう。赤宮もその一人だ。

そうした人びとというのは、はじめ、アイドルやそのファンたちの姿を、どこか別世界の人間たちのような面持ちで眺めている。ピカピカ光るライブハウス、奇妙な衣装、蛍光色のTシャツ…どれもこれもが怪しげで、自分たちとは縁遠い世界に思える。

しかし、ストーリーが進むにつれて、スクリーンに写る人びとの人生が映し出され、彼らが自分たちとそう変わらない人間であるということがわかってくる。ただ、自分たちと違う趣味を持っている、どこにでもいる普通の人びとということが明らかになる。

そして、彼らはこの上なく幸せそうな表情を浮かべている。自分と同じような人間のはずなのに、幸福そうだ。なぜなのだろう。アイドル文化にはそれだけの魅力が秘められているのだろうか…そんな気すらしてくる。

ここまで至ると、もうアイドルの世界が他人事ではなくなる。

縁遠いと思っていた世界が、ぐい、ぐいと、観客めがけて迫ってくる勢いがある。

 

『Tokyo Idols』…もともとアイドル文化に関心の薄い赤宮は、かなり穿った目で見始めた作品だった。フェミニズム的な批判も面白そうだったし、ある種奇妙にしか映らないアイドル文化を、いかに批判してやろうか、くらいに思っていた。アイドル文化は批判、あるいは単なる興味の対象であって、その具体的な内容に足を踏み入れることはないだろうと思っていた。だけど、そんな赤宮は、

 

鑑賞後、「柊木りお」の名前をGoogleで検索してしまっていた。

 

そこには、『Tokyo Idols』から続く、「アイドルとファンの関係性」が、たくさんの笑顔とともに存在していた。

さっきまで、遠くのフィクションのようだった世界が、目の前に広がっている。

 

 

 

そこに入っていくことすらできた。

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2017/11/30

*1:サンダンス映画祭のドキュメンタリー部門にも出展され、一部でかなりの評判になった。

*2:本文中書けなかったのでここで書いてみるが、そもそも日本のアイドル文化を「男性⇒女性」に限定してしまう監督の視点は理解しがたい(作品の副題は『A Fascinating Look at Sex & Gender in Japan』で、こうした意図があると考えて良いだろう)。AKBや地下アイドルの存在に関係なく、日本では長く「女性⇒男性」のアイドル文化、つまりジャニーズを巡るアイドル文化が存在してきたわけで、それがこの『Tokyo Idols』では全く考慮されていない。近年のアイドル文化についてはジャニーズが築いてきた文化の上にある部分も多く、これを踏まえずにフェミニズム的な批判を行うことはかなり重大な問題、きわめて安易な批判であると指摘せざるを得ない。男女の枠組みでなく、もう少し広い視野での批判を念頭に置くべきだったと思われる。