日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

ニート選挙(2015年)

ニート選挙(2015年)監督:沖田光


地域密着の悲劇

 


映画「ニート選挙」(NEET ELECTION the Movie)


大学卒業後、役者を目指して上京した千尋(笠原賢人)は、夢を諦め地元に帰ってきた。親の勧めで就職活動を進めるが、100戦100敗、どこも雇ってはくれない。かつて馬鹿にしていた就労体験にも馴染めず、絶望した千尋は、社会に出ないこと、ニートとして生きていくことを決意する。

自堕落な毎日を送っていた千尋だったが、ひょんなきっかけから、慣れ親しんだ商店街が寂れつつある現状を目の当たりにする。商店街のために何かできないか…そう思った千尋は、役者としての経験を活かし、ヒーローショーを開催することにした。結果は散々なものだったが、地域活性化に生きがいを見出した千尋。活動を進めるうちにニート仲間も生まれ、「ニート軍団」として幅広く活性化に取り組んでいく。

ニート軍団」の活動は反響を得るが、相変わらず商店街は寂れてばかり。自分たちがもっと商店街に携わっていかねればならないと感じた彼らは、市の助成金を使い、商店街で喫茶店を運営することを考案する。しかし、商売の経験も無く、無職の自分たちの声が市役所を動かせるはずもなかった。どうすればニートたちの声を行政に届けることができるのか。悩んだ千尋は、選挙に出馬し、自ら議員としてニートの意見を代弁することを目指し始める。…

 

先日執筆した『オールド・ボーイ』の記事では、物語のはじまりを聞いただけで続きを見たくなる作品はたいてい傑作だ、ということを書いた。例外もある。『ニート選挙』がそれだ。

 

「30歳ニートが、ひょんな出来事から選挙に出馬する」。誰がどう撮っても面白そうなこのテーマだ。若者の選挙参加が問題になっている昨今、一つの象徴としてニートを主人公に据えるというやり方は悪くない。実話のようなドキュメンタリー形式なのか、それともストーリー映画なのか。ニートと家族、ニートと仲間、ニートと選挙、ニートと政治…どう煮込んでも面白い。ニートを取り巻く要素は山ほど存在するし、それらのうちどれを取り上げても興味深い。失敗しないテーマ選びとはこのことだ。

赤宮はこの作品のテーマ、あらすじ、そしてポスターを見たとき、「これは知名度の低い隠れた名作ですわ」と確信した。アマゾンの評価は脅威の5/5。Yahoo!映画でも3.7/5と高い評価を獲得している。知名度の俳優は全くといって出演していないが、新潟市の協力の下、地元密着で制作されていることを考えれば、こうした方針も悪くない。沖縄や北海道を舞台した映画がよく地元出身の俳優を使うように、新潟を舞台にした映画が、新潟出身の俳優で固めても良いではないか。下手に都会職を帯びた俳優を使うより、かえって味わい深い雰囲気を醸し出しているのかもしれない。そうした俳優陣により繰り広げられる、地方での若者の就職事情や、選挙に取り組む若者の苦難…そうした要素が組み合わさり、必ずや名作が生まれるに違いない。

そもそも、選挙系のドキュメンタリー映画には名作も多い。我らがマック赤坂氏を追いかけたドキュメンタリー『立候補』など、選挙を巡る男の闘いというのはどこか観客を惹きつけるようで、世界各国でしばしば制作されているジャンルの一つなのだ。そこにニートという日本的なジャンルを取り込む。これはありそうでなかった考え方で、なんとも目のつけどころが良い。赤宮はAmazonでのレンタルを決めた。300円を課金した。そして悲劇が始まった。*1

 

物語はナレーションで始まり、そこでは主人公の千尋が大学卒業後上京し、夢破れて帰郷するまでの過程が語られる。直ぐに仕事を止めてしまった千尋君、真面目すぎる性格だったから仕方ないね…観客の同情を誘う感傷的なナレーションだが、おそらく10人中9人の観客は同じ思いを抱き始めているだろう。「アッ、これ、クソ映画だ」
なぜ、その原因はナレーションの音声にある。千尋の来歴を読み上げるボイスはいわゆる「ゆっくりしていってね!」の音声。気が抜けるったらありゃしない。そんな声で淡々と「ニート悲しいねえ」と言われても、どうにも共感はできないにきまっている。若者文化をうまく取り入れたつもりなのかもしれないが、滑り過ぎにも程がある。ツルッツルンしている。選挙系の映画を見に来たはずなのに、なぜかニコニコ動画を鑑賞させられているというのは、なんとも新しい。新しすぎて涙がでる。
もしも間違えて『ニート選挙』をレンタルしてしまった賢い観客の皆さんは、この辺りでブラウザをそっと閉じるべきだ、と警告しておく。赤宮は賢くないから、それができなかった。課金した300円を惜しいと思ってしまった。そして悲劇が続く。

 

ニート選挙』を構成する要素を3つ挙げるなら、棒読みのキャラクター、映像や編集の冗長さ、崩壊したプロットだ。以下では、これらをそれぞれしっかりと見ていこう*2

 

地域密着の観点から『ニート選挙』は地元出身の俳優を多く起用しているが、そうした俳優陣が演じるキャラクターのうち、約10割に共通する特徴として、徹底した棒読みの演技を挙げることができるだろう。

正しく感情を込めるなとでも言われているのだろうか、読み上げられる台詞の一つ一つには間違った感情がこもっており、観客はただただ困惑するしかない。主人公は政治家志望らしくよく笑みを浮かべているのだが、それはいつもなぜか半笑いだ。彼と協力する「ニート軍団」たちも、どこか感情におかしなところを抱えているようで、極端に笑うか極端に落ち込むかの二択しかできない。はじめこそ演出上の工夫かなとおもって前向きに捉えていたものの、ストーリーが進むにつれ、どうやら作中では彼らの半笑いや狂喜乱舞がごく当たり前の笑顔として扱われていることに気づいてしまった。こうなるともはやホラーだ。

身振り手振りもどこかぎこちない。「え、なんで今腕動かしたの?」と思うタイミングで、俳優陣の身体が不気味に動く。リアリズム的なアート・シネマも真っ青の演技の崩壊っぷりだ。

 

こうした俳優陣が組み上げる演技は、もちろん他のあらゆる作品の追随を許さない仕上がりとなっている。そんな演技に菊の花を添えるのが、カメラマンによる手ブレたっぷりの撮影の数々だ。『ブレアウィッチ・プロジェクト』を彷彿とさせる手持ちカメラによる撮影は、「頼むから固定カメラ使ってくれ」という感想を抱かせ続ける。とにかく小刻みにブレる。ブレるべきでないところで揺れる。

そして編集がうまく行っていないせいで、作品全体としての冗長さが比類ないレベルに達してしまっている。「そろそろ次の場面行くよな?」と思ったとき、十中八九場面は転換しない。主人公が支援者に握手をするシーン、数人との握手を写せば足りるシーンで、『ニート選挙』はその場に居た全員との握手シーンを撮影する。こうした小さな積み重ねが実って、全体としてもったりとした蛇足感を演出することに見事成功している。

極めつけは、ストーリーの途中でいきなり差し挟まれるライブシーンだ。ご当地アイドルをモデルにしたとみられるライブシーンはどこか既視感があるものばかりで新鮮味はないし、それが多くの観客にウケるというのもどこか説得力がない。しかもライブシーンは全てフル演奏だ。3分程度、ガッツリ新潟のアイドルショーを楽しむことができる。しかも2度も。

 

そして最後に、映画の原則を飛び越えたプロットを指摘せねばならない。ストーリーの前半で家族との対立、仲間との対立のシーンが存在するにも関わらず、そうした対立の解消が描かれること無く、彼らは「いつのまにか」仲直りして選挙戦に臨んでいく。さっきまで喧嘩していたのに、なぜか許されて、なぜか半泣きで抱き合っている。なるほど、観客の想像力に委ねるというやり方かもしれない。

2時間半という比較的長い時間の作品であるにも関わらず、ストーリー展開上必要な多くの要素が語られずに終わってしまっているのだ。数々のライバルが登場しては、いつの間にかフェードアウト。選挙を目指すことへの葛藤が現れたはずなのに、いつの間にか無かったことになっている。プロット上もっとなんとかならなかったのか、というべき点があまりにも多い。

 

着眼点が面白かったのに、紆余曲折を経て脅威の駄作となってしまった『ニート選挙』。赤宮が思うに、こうした残念さは、この作品のテーマである「地域密着」によって引き起こされたのではないかと感じている。

俳優陣のオーディションはおそらく新潟市を中心に行われたとみられ、それほど知名度の高い俳優、プロの最前線で活躍する俳優はまったくといっていいほど登場していない。全てをスターで固める必要はないが、せめて主人公だけでも実力派の俳優を採用することはできなかったのか。1人のスターは画面の緊張感を高め、映像全体に張りを与える力をもつものだ。『ニート選挙』の冗長さは俳優陣ののんきな演技に起因するところも大きい。

また、過剰なまでのエキストラの登場も考えものだ。先程挙げた主人公の握手のシーンの冗長さは、お手伝いしてくれたエキストラの人びとを全員スクリーンに登場させたい、という思いから来たものかもしれない。他のシーンでも、おそらくエキストラと思われる人びととの会話のシーンを逐次盛り込んでいることからも、こうした意図が存在することは間違いない。確かに気持ちは分かる。せっかく忙しい時間を割いて、地域のために手伝ってくれた人びとの存在。彼らを1秒でもスクリーンに登場させてあげたいという思いは決して無駄にできるものではない。

しかし、若者の投票率を上げたい、社会的に影響を与えたいという『ニート選挙』の出発点からすると、こうした内輪同士のなあなあを持ち込んだのは間違いだった。作品としての質を下げないため、最高の題材を映画として形にするため、あえてバッサリと編集で切り取る必要があったはずなのだ。それは映画製作者としての義務ではないか。
エキストラ、スタッフへの配慮が、作品の質より上位に置かれている。それこそが『ニート選挙』が映画として駄作の烙印を押されなければならない理由だ。

 

 

 

何度も言うが、着眼点が面白いだけに、惜しい作品だ。

映画「ニート選挙」

映画「ニート選挙」

 

 

2017/12/6

*1:なお、後にYoutubeでの無料公開を知り、悲劇が深まった。

*2:なお、本編を見る必要はない。