日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

マディソン郡の橋/The Bridges of Madison County(1995年)

マディソン郡の橋/The Bridges of Madison County(1995年)監督:クリント・イーストウッド

★★★

 

一瞬の思い出を糧に、一生を生きる


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○あらすじ

1989年の夏、アイオワ州の主婦フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)が亡くなった。葬儀のために故郷に戻ってきた二人の子供は「ローズマン橋から自分の遺灰を撒いてほしい」という遺言に困惑する。手がかりを探してフランチェスカの遺品を調べると、普通の主婦だったはずのフランチェスカが経験した愛の物語が見えてきた。

1960年代、平凡な日々を送っていたフランチェスカだったが、夫と子どもたちが所用で4日間家を離れ、一人きりで過ごすことになる。家事に追われて無為な時間を過ごしていたところ、家の前に一台の車が通りかかる。車を運転していた男は、カメラマンのロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)。彼がローズマン橋への道を尋ねたことをきっかけに、二人の間に思いもよらぬ物語が生まれていく。…

 

 

 

マディソン郡の橋』は1995年製作のアメリカ映画で、監督はクリント・イーストウッドイーストウッドは主演と製作も兼ねており、相手役にメリル・ストリープを迎え、中年の男女の純愛物語を見事に描いた。

イーストウッドの作品の中でも代表作として名高く、批評的にも興行的にも大成功を収めた。平凡に生きた人間にも、輝くような人生の瞬間がある。普遍的テーマと、主役二人の繊細な演技が見どころだ。

 

 

 

コメンタリーによると、当時ですら「古臭い」大人のラブストーリーだ。制作陣は1940年代のようなラブ・ストーリーを意識していたようで、とにかくドラマ、ドラマ、ドラマ。余計な撮影効果や演出に頼らず、主演二人の表情をしっかりと撮り、言葉で愛の物語をつないでいく。

もちろん序盤で明かされている通り、二人の愛の物語は実を結ばない。観客にとって二人の関係性がどうなるかではなく、二人がたどった道筋、どのように対話し、どうやって終わっていくのか、その過程にフォーカスしている。キャラクターの背景はともに異なり、男と女の考えることも異なる(1960年代の男女という時代性を踏まえれば当然だろう)。

旅を続けてきた男と、家庭に身を捧げた女性。二人の夢はともにかなわない。現在進行形で生きる二人の人間が、かなわない夢と知りながら生きる感覚、どんなに残酷だろう?そして叶わなかった物語を抱えながらその後も生きていく切なさ。

 

 

 

それでも人生には輝くような瞬間がある。ロバートは「数日で一生は生きられない」と話したけれど、結果として数日で一生を生きる足跡を作品として遺した。

目を瞑るだけで思い出せるような、人生の輝くような瞬間。価値観のふるいをくぐり抜けて、自分にとってはこれしかないんだと確信しながら、全身で、一生を数日として受け入れる瞬間。はちきれるような幸せをがぶりと味わって、ああアレは良かったなと思いながら、不器用に死んでいく。それはどんな人生なのだろう。残念ながら、平凡な赤宮には想像もつかない。

 

 

 

マディソン郡の橋』は、一言でまとめれば「通りかかったカメラマンが、平凡な主婦と恋愛をする」だけの物語だ。

残忍な殺人事件は起こらず、未確認生物は現れない。(イーストウッドにありがちな)ライフルを抱えた屈強な男も出てこない。

けれども、これも映画だ。1940年代の、映画の黄金時代を彷彿とさせるような、見事なラブストーリーだ。

2021/8/28