日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

ウォーターメロン・ウーマン/The Watermelon Woman(1995年)

ウォーターメロン・ウーマン/The Watermelon Woman(1995年)監督:シェリル・デュニエ


The Watermelon Woman 1996 (US) [90 min] Trailer

デュニエはフィラデルフィア出身、黒人で、レズビアンで、アメリカ人だ。映像作家を目指しながら、レンタルビデオ店で働いている。勤務先の店舗にはレズビアン仲間が多く働いていて、気の合う仲間たちと和気あいあいと働いている。

デュニエの趣味はビデオを見ること。黒人が出演する古い映画が好きだ。しかし、古い映画のクレジットには、出演した黒人俳優の名前が記載されていないことがある。黒人差別が色濃く残っていた時代の遺物だ。

ある時、1930年代に制作された映画『プランテーション・メモリーズ』に出演していた黒人女優に魅力を感じたデュニエ。彼女がフィラデルフィア出身であることをしったデュニエは、「ウォーターメロン・ウーマン(スイカ女)」という、よく分からない名前を手がかりに、そのドキュメンタリーを製作し始めることにする…

 

『ウォーターメロン・ウーマン』は、とある女優のドキュメンタリーを制作しようとする黒人レズビアン女性と、その周囲の人びとを巡る作品だ。登場人物たちの殆どが女性で、そしてレズビアンだ。

90年代半ばの作品ということで、当時は最新鋭の機器だったホームビデオ撮影と、一般のフィルム撮影が組み合わせて制作されている。主人公が製作する劇中劇、つまりウォーターメロン・ウーマンのドキュメンタリー部分にはホームビデオが使用され、手づくりの雰囲気を出している。他方、デュニエやその周囲をめぐる人物たちのドラマはフィルムで撮影されているため、両者の対比が場面の転換が分かりやすく示されている。

 

内容としては、一応ウォーターメロン・ウーマンについて探求するという本筋があるものの、物語の重点は主人公デュニエの友人・恋愛関係に置かれている。ドキュメンタリーの制作過程にも、これといって奇異な展開は見られない。平凡な日常を描いた映画だ。こう言ってはなんだが、見ていて退屈な場面がいくつもある。

しかし『ウォーターメロン・ウーマン』が伝えたかったのは、この平凡な日常風景なのだろう。「黒人」「レズビアン」といった、かつて差別の対象とされていたものたちが、この映画の中ではありふれた性質として存在している。ハリウッド映画でよくある、男性が気軽に女性を口説くような場面を想像してほしい。それと全く同じように、とても自然に、女性が女性を口説き落とす場面が流れる。『ウォーターメロン・ウーマン』において、黒人も、レズビアンも、魅力でこそあれ、差別の対象ではない。

確かに、主人公が、黒人、レズビアンといった自分のアイデンティティに触れる部分もある。しかしそうした悩みというのは、将来についての悩みだとか、友人関係についての悩みと似たようなもので、個人の領域を出ない問題として捉えられている。

こうした平凡さは、時代の移り変わりによってもたらされたものだ。物語の後半で登場する年配の黒人レズビアンたちは、主人公たち若い世代のレズビアンたちの平凡さに、とても安心しているような様子を見せる。自分たちの時代では成し遂げられなかった、平凡で自由な生活が、新しい世代が享受されている。そうした姿を目の当たりにしているからだ。

LGBT映画でありながら、平凡さを押し出す…『ウォーターメロン・ウーマン』が描く黒人レズビアンは、ごくありふれた一般の人びととして存在している。この映画は、彼女たちは人生に恋愛に悩み、日常生活を送っているのだという、当たり前のことを、そのまま描いた映画だ。赤宮は、この作品のコンセプトを高く評価したい。人びとの姿をありのままに写すことが、単純な集会や活動よりも強いメッセージ性を帯びることがある。『ウォーターメロン・ウーマン』は、穏やかながらも、現実に生きる人びとへの深い共感を呼び起こされる映画だ。 

 2017/10/5