日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

ウォール街/Wall Street(1987年)

ウォール街/Wall Street(1987年)監督:オリバー・ストーン


Wall Street Movie Intro (1987)

貧しい労働者家庭に育ち、激しい出世欲を持つ証券マンのバドは、59回にもわたる営業の末、投資家ゴードンとのアポイントメントを獲得する。5分しかない短い面会時間の中、ゴードンの厳しい面接にたじろぐバドだったが、航空会社の現場で働く父から得た情報を利用し、無事ゴードンからの投資を取り付けることに成功する。

ゴードンからの投資が成功し、彼と継続的なビジネス関係を結ぶことになったバド。ゴードンから指示を受け、インサイダー取引のための情報収集を行い、その見返りとして巨万の富を得ることになる。ゴードンの弟子として順調に成長していったバドは、赤字負債を抱える父の会社の再建を考え、その話をゴードンに持ちかける。しかしやがて、この協力関係が、バドとゴードン、そして周囲の人びとを巻き込んだ、大きな対立関係に結びつくことになっていく。…

 

身の回りの証券マンは、友人としてとても楽しい人々が多い。出世欲が強くて、輝かしい未来を笑いながら語って、一心不乱に仕事に打ち込む。あまりにも熱心なものだから、毎日付き合うには辛いところもある。しかし年に一度会うのならば、こんなにおもしろい人間も他にない。もしあなたが人付き合いを好むのであれば、証券マンの友人が最低一人は欲しいものだ。

ウォール街』の主人公バドも、そんな証券マンのうちの一人だ。彼は自分の家庭環境から貧乏を心底憎んでいて、そこから出世への強い意欲を抱いている。より多くのお金を稼ぐことを切望していて、今より良い生活、素晴らしい日々への階段をいつも探している。同僚たちにその熱意を隠すこともしないから、呆れられながらも周囲からは一定の評価を得ている。

ウォール街』の物語は、そんな証券マン、バドが、真の金持ち、投資家ゴードンと親交を得るところから始まる。持ち前の情熱を糧に59回の営業をかけたバドは、遂にゴードンとの面会を許される。そしてバドは無事そのチャンスを掴む。

バドの眼から見て、ゴードンは圧倒的なカリスマとして君臨する。リーダーとしての振る舞い、投資家としての力量、大金持ちとしての文化教養、全てを兼ね備えた圧倒的な存在だ。加えてゴードンは、指導者としても素晴らしい。彼の指導の下、バドは急速に成長を遂げていく。ゴードンは更なる富を得て、バドも富裕階級の仲間入りをする。

 

ゴードンは、「金儲けは善か、悪か」という論題を正面から破壊してしまう。この作品では、異なる立場にある人々の発言を通じて、繰り返しこのテーマが語られることになる。労働組合の人びと、買収される経営陣の人びと、その他もろもろの口からは、金儲けばかりを考えるゴードンを批難する言葉が流れ出る。他の作品であれば、こうした善か悪の対立を経て、最終的に善が勝つ、という結末に帰着する展開も考えられるだろう。
ところが、ゴードンはゴードンで、倫理などどこふく風のド正論でこれを論破する。ゴードンの話しぶりは堂々としていて、スクリーンを超えて観客の支持をも集める魅力がある。加えてゴードンの生活ぶりが華やかで魅力的だから、結局観客はゴードンの立場、「金儲けは善」を支持するように仕向けられてしまう。

部分的に「金儲けは悪」であるとの意見や、それを裁く存在が現れたとしても、劇中を通じて、ゴードンは自分の哲学を変化させることはない。したがってゴードンは、「金儲けは善か、悪か」については一度も敗北していない。少なくとも、この映画では(あるいは、ゴードンによれば)金儲けは正しいのである。「金儲けは善」なのである。

 

だとすれば、この映画で争われるテーマは何なのか。赤宮の見る限りでは、そのテーマは主人公バドのアイデンティティを巡る問題に帰着させるべきだろう。作中の言葉を借りれば、「おれ(バド)は誰だ?」という問題である。

物語が始まってしばらくの間、バドはひたすら自分の意思で上昇志向を抱いている。「出世して偉くなる」という思いを糧に、ひたすら営業をかけてゴードンに辿り着き、更なる業績アップを目指している。

しかし、ゴードンという偉大な指導者に出会った途端、その人生は一変する。インサイダーを利用した取引は莫大な富をもたらす一方で、バドは自分の人生を主体的に生きられなくなってしまった。ゴードンの教えに従い、ゴードンのようになりたいと努力するにつれて、バドは自分自身を見失っていくのである。

成功を収めたバドは、夜のベランダで、大都会の夜景を眺めながら一人、ポツリとつぶやく。「おれは誰だ?」。ここでバドは、富を得た後も、自分が自らのアイデンティティを確立できていないことを自覚したのだ。

この後、バドはゴードンの大演説を目の当たりにし、改めて自分とゴードンの間の力量差を痛感する。そして更に焦りを重ねる。既に成功のレールに乗っているにもかかわらず、「自主的に」ゴードンとの協力を申し出るようになるのだ。バドはゴードンに自分の意見を示すことで、何とかしてアイデンティティを構築しようと苦心する。

 

さて、バドとゴードンがどうなるのか、については本編を見ていただくことにしたい。個人的には、エンディングでバドが何をしているか、が全てを物語っている気がするのだ。市場主義であるとか、金儲けの文脈で語られがちな作品であるが、偉大な指導者に憧れて、それに追いつこうとする若者の物語として見ても面白いと。理想と現実の間でもがくバドの姿は、見ていてとても胸を打つところがある。億万長者になっても、なおそういう人間らしさを残すところに、なんだか心が惹かれてしまうのだ。

 

そしてまあ、真面目に語りすぎたかもしれないが、基本的には金儲けがしたくなり、人生へのモチベーションが向上し、何だか証券マンになりたくなる楽しい作品である。

 

一年ぶりに、友達の証券マンに会いたくなってきた。 

ウォール街 (字幕版)

ウォール街 (字幕版)

 

 2017/10/13