日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

グランド・ブタペスト・ホテル/The Grand Butapest Hotel(2014年) 

グランド・ブタペスト・ホテル/The Grand Butapest Hotel(2014年) 監督:ウェス・アンダーソン

 

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映画『グランド・ブダペスト・ホテル』予告編

 

現代の、東ヨーロッパの、とある国で。1人の女性が、かつてルッツと呼ばれた街を訪れる。雪の降り積もった墓地を進んでいくと、そこには1人の作家の銅像があった。台座にはいくつもの鍵がぶら下げられており、なにか物語めいた雰囲気を感じさせる銅像だ。銅像を前にした女性は、一冊の本を取り出す。その裏表紙には、銅像に彫刻された作家の、生前の写真が飾られていた。

時は遡り、1985年。作家がカメラを前に、いかにして自分が作品を作り出すのかを語っていく。そして、彼にとって最も印象的だったのは、1968年、「グランド・ブタペスト・ホテル」での出来事であったという。

さらに時は遡り、1968年。まだ未熟なキャリアを歩んでいた作家は、療養のため、「グランド・ブタペスト・ホテル」を訪れる。かつて栄華を誇ったこのホテルも、老朽化を重ね、今や見る影もない。しかし、閑散としたホテルの中に、どうも似つかわしくない1人の男の姿があった。彼の名はゼロ・ムスタファ。移民の身分から、国一番の有名人になった大富豪だ。奇妙なことに、彼は年に数度このホテルを訪れては、なぜか使用人用の貧相な部屋に宿泊するという。ひょんな出来事からムスタファと知り合った作家は、彼からディナーの誘いを受ける。

ムスタファのミステリアスな雰囲気に興味を持った作家は、彼の口から語られる1932年の昔話について、興味深く耳を傾けるのだった。…

 

ある作品を傑作と呼ぶとき、そこには傑作としての「何か」が備わっていなければならない。その「何か」を、傑作の条件と呼ぶことも可能だろう。世の中には星の数ほど多くの映画が存在するが、その殆どは傑作の条件を満たすものではない。その点、「グランド・ブタペスト・ホテル」は、傑作の栄誉を受けるにふさわしい作品だ。丁寧に作られた一つ一つの場面が、偉大な作品を織りなしていく。

ウィスコンシン大学マディソン校のBelodubrovskaya助教授は、傑作映画の条件としてストーリー、登場人物、世界観、雰囲気、流儀、メッセージ性の6つを提示している。彼女は、メディアに携わろうとする学生が、「グランド・ブタペスト・ホテル」を見るべき理由、偉大かつ素敵な作品である理由をさんざん並べ立てる。その姿はもはやただの一ファンである。散々語り尽くした後、愚痴をこぼす。「ま、作品としてはオスカー取れなかったんですけどね…」

彼女の基準に従って、「グランド・ブタペスト・ホテル」が傑作であることを示してみよう。
入れ子構造により深く深く内容に引きつけていく語り口や、ムスタファやグスタヴといった愛すべき登場人物たちは、かれらの行く末がどうなるのだろう、という期待を常に与えてくれる。
暗く、重苦しい第二次世界大戦前のヨーロッパと、華やかな「グランド・ブタペスト・ホテル」の雰囲気の穏やかな対比は、儚くありつつも、見るものを映像世界に引きつけていく。
また、シンメトリカルな場面構成(他の映画と比べても、この作品は数多く「左右対称」の場面を採用している)は、作品全体に安定感を与えている。加えて、要所要所で左右対称性を裏切ることで、その場面の緊迫性を増加させることにも成功している。
そして何より、クライマックスにおいて明らかになる、作品全体に込められたメッセージ、人間関係や恋愛の美しさ、そしての儚さというメッセージを受け取った瞬間、私たちはそれを自分たちに重ねておかずにはいられない。過去に、過去にと時を遡り続けるこの作品は、終盤の展開を通じて、現代に生きる私たちに、力強いメッセージを、この上なく効果的に届けていくのである。

初めてこの「グランド・ブタペスト・ホテル」を見た時、私がテーマとして感じたのはNarrate(物語る)だった。
明言は避けるが、作中ではいろいろなものが失われてしまう。しかし、それらは語られること、語り直されることによって、別の誰かに伝わっていく。
人間は儚く、人間によって形作られる人間関係も、また儚い。しかし、その儚さをNarrateすることによって、幾分、悲しみは和らげられるのかもしれない。

 

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 (ケーキが食べたくなる。)

 

2017/9/11