日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

野良犬(1949年)

野良犬/Stray Dog(1949年)監督:黒澤明


黒澤明 野良犬

新米刑事村上は、射撃訓練から帰る途中、ポケットに入れておいたコルト式拳銃を盗まれてしまう。村上は慌てて犯人を追いかけるものの、その姿を見失ってしまった。拳銃の中には、7発の弾が入っている。自分の拳銃が、何か事件を起こしてしまうのではないか。心配が収まらない村上は、僅かな手がかりから、拳銃の行方を探るべく奔走する。

苦労の甲斐あって、闇市における拳銃のヤミ取引の存在が明らかになる。村上は浮浪者を装い、ヤミ市に潜入、見事売人の女性と接触することに成功する。すかさず彼女を逮捕する村上だったが、彼女の持っていた拳銃は村上のコルト式ではなかった。

一方その頃、淀橋では強盗傷害事件が発生していた。鑑識と村上の調査によって、事件に用いられたのが、村上のコルト式拳銃であったことが明らかになる。自分が盗まれてさえいなければ。村上は強い責任感から、上司に辞表を提出してしまう。しかし、上司から言い渡されたのは、淀橋署のベテラン刑事佐藤と協力し、自ら犯人を捕まえろ、との指令だった。…

 

『野良犬』は1949年、戦後数年経って制作された作品だ。当時存在していたGHQによる検閲を意識しつつ、正義の象徴の警察官と、悪に走った犯罪者、当時の社会を苦しみながら生きた若者たちの姿がまざまざと描写されている。

この映画では、戦後の復員の際、同じ苦しみを経験した二人の若き退役軍人が対照的に描かれている。一人は、苦しみに怒りを覚えつつも、その怒りを理性的に抑え込み、警察官として正義を守ろうする。しかしもう一人は、戦後社会の理不尽さに屈し、半ば自暴自棄になって犯罪に手を染めてしまう。両者は同じ苦難を経ていながら、現在の姿は対照的だ。

しかし、警察官である主人公にとって、犯人を巡る環境は、決して他人事ではない。自分もああなってしまったかもしれない、という不安が常にある。劇中、周囲の楽観視にもかかわらず、何度も何度も、「嫌なことが起こる気がするんです」と、不安を口にする。ここで主人公は、犯人の更なる犯行を予期している。なぜ、主人公だけがこの不安を感じ取ることができるのか。それは、犯人が主人公にとって身近な存在であるために、主人公は犯人に自分を重ね合わせ、彼の行動を予測できてしまうからなのだ。そして不運なことに、この不安は的中してしまうのだ。

 

加えて、二人の若き退役軍人やその周囲の人びとという現役世代と、主人公の上司たちを中心とする先の世代の間に存在する「世代間格差」というのも、『野良犬』の見所の一つだ。

この作品の若者たち(「戦後派」)は、誰もが個人主義的な考えを自然に身に付けている。主人公を例に取ろう。主人公のコルト式拳銃を用いた事件を「偶然だ」と慰める上司たちに対して、主人公は常に「自分の責任である」と応答する。ここで主人公は、事件の発生原因を主人公自身に帰着させている。言い換えれば、コルト式拳銃を用いられた事件は、主人公のミスが原因だ、と捉えられているのだ。そんな主人公に対して、ベテラン刑事佐藤は「お前はコルトに拘りすぎだ」と戒める。しかしそれでも主人公は、自分の行為が、事件をもたらしてしまったのだという思いを抱き続ける。こうした主人公の理解においては、主人公以外の要因(犯人や闇取引の存在)が事件をもたらした、という当たり前の事実が欠けている。彼にとって、事件は自分という個人の不手際が起点であり、他の要因を想定できていないのだ。

他の若者たちも、極めて個人主義的な動機から行動を積み重ねる。社会に絶望した犯人は、その苦しみから罪を犯してしまう。ある女性は、他人のものを奪うしか幸せは得られないと泣き叫ぶ。彼らはみな、何かしらの形で太平洋戦争を経験し、現在戦後を生き残ろうとする人びとばかりだ。そうした彼らの中に、神道天皇を中心とした、没個人的な価値観は殆ど見られない。

 

『野良犬』は、戦後の社会事情の混乱がもたらした、若者たちの価値観の変動を示した作品だ。しかし監督の黒澤は、それを描写するだけにとどまらない。あえて古い世代、ベテラン刑事佐藤を主人公と対比させることにより、行き過ぎた個人主義の進展に警鐘を鳴らしている。

佐藤は、「戦後派」と呼ばれる新しい世代の価値観を決して否定することはない。しかし、個を個として追究しすぎること、視野狭窄になること、そして時には犯罪にも行き着いてしまうことの危うさを、言葉の端々で伝えている。

世の中が悪いかもしれないが、だからと言って悪いことをするのは、もっと悪いことなのである。

 

新しい世代、「戦後派」の存在を認めつつ、言うべきところはしっかりと言う…黒澤の時代感覚とバランス感覚が生きた、文句なしの傑作。それが『野良犬』だと思う。

野良犬

野良犬

 

2017/10/10