日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

晩春(1949年)

晩春(1949年) 監督:小津安二郎


Three Reasons: Late Spring

(正規の予告編じゃないんですが、これ面白い)

 

大学教授の周吉(笠智衆)は、一人娘の紀子(原節子)と二人で暮らしている。早くに妻を失い、身の回りのことを紀子に任せてきた周吉は、最近娘の結婚が気がかりで仕方ない。それとなく話題を振ってはみるものの、軽くあしらわれてばかりだ。とはいえ紀子も二十代の後半、このままでは婚期を逃してしまうかもしれない。そんな折、周吉の妹(杉村春子)が、とても良い条件の見合い話を持ってくる。…

 

笠智衆に、原節子*1に、杉村春子。これだけ昭和の名優を並べて、つまらない映画が生まれるはずがない。『晩春』は、戦後の小津安二郎の作風を決定づけた作品として知られている。映画の常識を次々と打ち破った小津と、それを支えた名優たちのコラボレーションが生んだ傑作、それが『晩春』である。

物語の構成としては、小津らしいオーソドックスなものだ。そもそも小津の一貫したスタンスとして、彼はその映画作りにおいて、物語を必ずしも最重要視していない。後の『東京物語』でより顕著になるが、小津はより高度で洗練された映像作りを目的として、物語を相対的に目立たないよう工夫しているようにも見える。『晩春』でもそれは随所にあらわれており、映像的に面白い、味わい深い映像を挿入するために、物語の筋からすれば一見必要が無いような場面も多く撮影されている。

娘の紀子が叔父と遭遇する場面や、能を鑑賞する場面などは、物語全体から見ると、必要な出来事ではないのかもしれない。しかし、小津の緻密な映像作りによって生まれた映像の一つ一つは、それ自体一つの芸術として成立してしまうほどに斬新で、美しい。

ボードウェルによれば、小津にとって、映画における映像作りと物語は並列の関係に置かれている。一般的な印象から言うと、映画において物語が目的、映像は手段である。映画監督や脚本家が抱くテーマを描くために、物語が生まれ、映像はそれを表す手段として存在するように思える。しかし、小津の中で両者は対等の関係にある。

だとすれば、一見無駄に見える場面であっても、それが美しければ、映像として魅力があるのであれば、小津にとってそれは成功なのである。映画愛好家から小津に向けられる感想の一つとして、「無駄なシーンが多い」というものがあるが、それは小津にとっての映像の位置づけと、鑑賞者にとってのそれが異なることに由来している。

しかし、『晩春』において、物語が軽視されているかと言えば、決してそうではない。先に述べた議論はあくまで相対的なものだ。小津の映像は並外れて美しい。そして小津の物語は、その映像と同じくらい丹念に練り込まれたものとなっている。

娘の結婚を心配する父と、父親を深く愛している娘との間の関係性は、どこか危ういものすら感じさせる深さがある。笠智衆演じる父親は「どこにでも居そうな父親像」を的確に表現している。そして原節子演じる娘の表情の危うさ、嫌悪感すら招きかねない演技は、その一挙一動を通じ、見るものの心をどうしようもなく揺さぶってくる。

父娘の関係性は、私たちの共感と違和感を同時に呼び起こしてくるのだ。確かに父の気持ちも分かる。娘の気持ちも分かる。しかしどこか気味が悪い。二人の関係はやがて良い方向に昇華されていくから、その段階では安心できる。だが最後の父の表情、その様子を見ていると、果たしてこれで良かったのか、本当に彼らは幸せになるのか、何ともいえない心配が渦巻いてくるのだ。

 

『日刊映画日記』はネタバレを禁ずるブログだが、今回ばかりはその必要性すら無いのかもしれない。赤宮はこの記事で、小津の映像と物語の関係性について説明したものの、そうした関係性の変化が生み出したものについては触れていない。いや、触れることが出来ないのだ。

小津は、言葉にならない感情を映像にしようとする監督だ。そのためには映像と物語の関係性など容易に崩してしまうし、映画の原則だってあっさりと踏み越えてしまう。

そして、そうして映像となった「言葉にならないもの」を、いったいどうして、赤宮一人の言葉で書き表すことができようか。『晩春』の素晴らしさ、小津作品の素晴らしさ、こればかりは実際に作品を見ていただくしかないところがある。『日刊映画日記』はその入口まで連れて行く役割を担っているつもりだ。

さあ、『晩春』を見る準備はできた。後は日本茶を淹れてせんべいを並べ、じっくりその偉大さを堪能するだけだ。

 

晩春

晩春

 

2017/10/16

*1:全く関係ない話だが、『晩春』を見た日にまとめて三本の原節子映画を見たため、その晩の夢に原節子が出てきた。むっちゃ叱られた。なぜだかは知らない。