日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

アメリ(2001年)

アメリ/Le Fabuleux Destin d'Amélie Poulain(2001年)監督:ジャン=ピエール・ジュネ

 

あの人も不器用だったのだろうか

 


Amélie (2001) Official Trailer 1 - Audrey Tautou Movie

 

1973年9月3日18時28分32秒、毎分1万4670回ではばたく1匹の羽虫が、モンマルトルの路上に留まった。その時、丘の上のレストランでは、一陣の風が吹いて、魔法のようにグラスを踊らせた。同じ時、トリュデーヌ街28番地の5階で、親友の葬儀から帰ったコレール氏が、住所録の名前を消した。また同じ時、X染色体を持つ精子が、ラファエル・プーラン氏の体から泳ぎだし、プーラン婦人の卵子に到達した。9ヶ月後、アメリ・プーランが誕生した……

 

アメリ』は2001年公開のフランス映画だ。パリの街を舞台に、奇妙な登場人物たちが営む不器用な日常を美しく描いた作品で、フランス国内だけでなく日本でも大ヒット。配給を担当したアルバトロスは本作の収入で「アメリビル」を建てたとも言われている。

ストーリーは妄想癖のある若い女アメリオドレイ・トトゥ)が、周囲のおかしな人びとと関わる中で成長していくというもの。コミュニケーションが決して得意ではない人物たちが、笑い合い、からかいあい、ときにけんかしながら時間を過ごしていく光景は、ジュネによる天才的な画面構成と合わさって言いようもない魅力を放つ。物語の後半では主人公のアメリが、意中の男性ニノ(マシュー・カソヴィッツ)に向き合おうとする、なんともきゅんきゅんする若き女性の心的葛藤が細やかに描かれている。

アメリ』を見る上で印象的なのは、主人公のアメリによる数々のいたずらシーンだ。ある出来事をきっかけに「人を幸せにすること」に喜びを感じるようになったアメリは、不倫相手と駆け落ちした夫を持つ女性に偽の手紙で慰めを与え、意地悪な人間をこらしめるべく家宅侵入し、男女に本当ではない愛情を伝え縁を取り持つ。

生来の家庭環境ゆえ、「世界との関わり方がわからない」。他人と関係を結ぶことができないアメリにとって、「いたずら」は他人と関わる手段なのだ。

 

ただいたずらができても、アメリはコミュニケーションがやっぱり苦手だ。自分が幸せになるために、自分自身への「いたずら」を選んでしまう女の子だ。不器用だから、意中の男性に話しかけるチャンスを得ても、一歩踏み出すことができない。向こうから話しかけられても、人違いですよと返答してしまう。

話しかける勇気がないから、自分と意中の男性に対して「いたずら」する。アメリは2人が出会うシチュエーションを作り、2人が話せるシチュエーションを作る。2人が結ばれるシチュエーションを見据えて「作戦」を組み、傍からみればなんとも回りくどい方法で場面づくりに勤しむ。

けれども、ロマンスは生まれない。コミュニケーションによる働きかけができないアメリは、顔をしかめてチャンスを逃し続ける。

 

他人の人生を動かすように、自分の人生を客観的に動かすことしかできないアメリ。戦略を立て、論理的なストーリーをつむぎ、その通りにロマンスを生み出そうとしても、最終的に行動するのは自分自身なんだということを、彼女は何度も痛感する。

 

「まさに現実との対決、アメリはそれが苦手だった!」

アメリの自由だ。夢の世界に閉じこもり、内気なまま暮らすのも、彼女の権利だ。人間には人生に失敗する権利がある」

 

 

 

私がまだ映画に目覚める前、瀧本哲史先生と、一度だけ映画の話をしたことがある。

 

アメリ』がお気に入りですと、話していた。

 

 

アメリ(字幕版)

アメリ(字幕版)

 

 2019/8/17