日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

殺しの刻印(1967年)

殺しの刻印(1967年)監督:鈴木清順


ただただ困惑する

 

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「殺し屋ランキング」ナンバー3、花田五郎。炊飯器で米が炊ける匂いが何より好きな彼は、依頼を受けてランキングナンバー2とナンバー4の殺し屋と決闘する。激しい闘いが巻き起こったが、その末に彼らを下した吾郎は、晴れてナンバー2へと昇格した。
ナンバー2としての信頼を基に様々な殺しの依頼を受けていた吾郎は、ある時謎の美女美沙子(真理アンヌ)から殺しの依頼を受ける。困難だが、不可能ではない…そんな依頼だったが、思わぬミスから五郎は暗殺に失敗してしまう。

これまでの評価が一転、雇い主や他の殺し屋から追われる立場となってしまった五郎。美沙子との不可解な関係、謎に包まれたナンバー1との交わり、それらに翻弄されながら、五郎は生き残りを賭けてライフルを握る…

 

 

 

『殺しの烙印』は1967年に公開されたヤクザ映画だ。宍戸順演じる殺し屋が、殺しを通じてヤクザ組織でのし上がりながら、真理アンヌ演ずる謎の美女に惑わされるという、セックス&バイオレンスを体現した内容になっている。

とはいえ、決して王道のヤクザ映画ではない。「殺し屋の間にランキングがあり、順位上昇を目指して互いの命を狙い合う」という荒唐無稽な基本設定、蛾を愛するヒロイン美沙子の奇行、並大抵の作品には見られない要素が多分に含まれている。

 

いや、まあ、なんと訳のわからない作品だと思う。この作品を鑑賞するにあたり、ヤクザ映画ということでメッセージなりストーリーの観点から考えてみようと思ったが、ストーリーの展開はまともに見えてむちゃくちゃで、何が伝えたいのかもはっきりとしない。はじめはヤクザ同士の激しい闘いを描いた映画化と思わせておいて、中盤以降は全く違う展開を見せる。最後にようやく闘いに帰ってきたかと思うと、そこでは明後日の方向にストーリーが進み、良くも悪くも先読みできない流れが続く。

ストーリーがダメなら、魅力的なキャラクターを探して、彼らに作品の魅力を担わせるべきだろうか。しかし、一見ハードボイルドな魅力を発揮するキャラクターたちは、その魅力が頂点に達したところでいともたやすくそれを捨て去ってしまう。「炊飯器で米が炊ける匂いが好き」な主人公は、序盤こそ一流の殺し屋としてゴルゴ13ばりのクールさを発揮するも、1つ歯車が狂ったかと思えば一気に情けない男に成り下がってしまう。ライバルであるナンバー1も、主人公の手の届かない最強の殺し屋かと思えば、とんでもない展開で一気に観客を困惑させていく。

 

というわけで、どうやら大真面目に『殺しの烙印』を鑑賞するのは間違いのようだ、という結論に至った。この作品は日本流のアート・シネマと解するべきであり、そこに整合性や物語性を無理に見出す必要はない。不合理さをそのままに。タランティーノやリンチの映画を大真面目に見るのが馬鹿馬鹿しいのと同じで、ただありのままに、目の前に現れるストーリーや映像を瞬間的に拾っていけばそれでいい。

 

こうして視点を変えてみれば、『殺しの烙印』の映像の美しさ、表現の楽しさが見えてくる。真理アンヌ演ずる美沙子をあの手この手で美しく撮った映像の数々は、観るものの心を掴んで離さない艶めかしさを内包している。また構図の面でも徹底的に美しく、ダンディに洗練された男たちをいかに配置するかが常に意図されている。

しかし、その美しさが何を示唆しているのかが語られることはない。とんでもない展開が続く終盤の闘いや、思いもよらぬエンディングシーンなど、観客はただただ困惑するしかないだろう。大切なのはそれを受け入れることだ。

 

そして美しさに身を任せればいい。

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2017/12/5