日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

38人の沈黙する目撃者/The Witness(2015年)

38人の沈黙する目撃者/The Witness(2015年)監督:ジェームズ・ソロモン

 

 

目撃者たちは、本当に「沈黙」していたのか?

 

 

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1964年3月13日、ニューヨークのキューガーデン駅近くで、暴漢ウィンストン・モースリーにより、この地区に住むキャスリーン(キティ)・ジェノヴィーズが殺害される事件が発生した。被害者はモースリーに襲われた際、何度も大声を上げて助けを求めたという。目撃者の数は、38人。彼らはキティの叫びを聞き、事件を目撃したにも関わらず、警察に通報することさえしなかった。他の誰かがきっと彼女を助けてくれるだろうと思って、誰も行動を起こさなかった…当時のアメリカの無責任性を象徴する「傍観者効果」の例として、「キティ・ジェノヴィーズ事件」は、研究書や教科書で数多く取り上げられ、今なおアメリカの苦い記憶として語り継がれている。

事件から50年後。キティの実の弟ウィリアム・ジェノヴィーズは、これまで向き合ってこなかった姉の死の真相を知るべく、「38人の沈黙する目撃者」たち一人ひとりの個人情報を集め、今なお生存する人びとへとインタビューを敢行する。しかしインタビューを始めると、目撃者たちが実際に救助活動に携わり、警察への通報を行ったという証言が現れてくる。中には、自分が「38人の1人」に含まれていた事実を初めて知った人物すら存在していた。果たして、「38人の目撃者」たちは本当に「沈黙」していたのか。そうでなかったとすれば、「沈黙」という風潮を作り出したのは、いったい誰だったのか?目撃者や報道関係者、警察や果てには犯人の息子にまでインタビューを繰り返す内、「キティ」を巡る新しい事実が次々に立ち現れてくる。…

 

 

 

『38人の沈黙する目撃者』はジェームズ・ソロモン監督による2015年のドキュメンタリー作品であり、同年開催された多くの映画祭で注目を浴びた作品だ。アメリカでは非常に高い知名度、影響力を誇る「キティ・ジェノヴィーズ事件」を正面から検討し直したドキュメンタリー作品であり、その題材の興味深さはかなりのものだ。また構成や映像形式からいっても、かなりハイクオリティな作品と評価して間違いない。

 

 

 

そもそも、「キティ・ジェノヴィーズ事件」とはなにか。あらすじでもまとめた概略を、もう少しわかりやすく噛み砕いて説明してみよう。同事件はニューヨークで起こった強姦殺人事件であり、モースリーという犯人がキティという女性に暴行、その後殺害したというものだ。こうして事件の概略を見てみると、失礼な言い方だが、特別目を惹くものではない。ではなぜこの事件が、今なおアメリカの社会に大きな影響力を放つものとなっているのか。この事件の特殊性は、事件そのものではなく、その事件を目撃した人びとの側にあるとされている。

事件が起こったあとの報道記事によると、同事件においては、キティの叫び声を聞いた、あるいは直接目撃した「目撃者たち」が、38人存在していたとされている。しかし彼らのうち、それを警察に通報、救急車を呼ぶなどしたものはいなかった、というのが記事の内容だ。事件を目撃しているのに、知らないふりをして眠りにつく…どうせ他の誰かがなんとかしてくれるだろう…こうした傍観者としての無責任性は、ベトナム戦争の影に脅かされる当時のアメリカの社会と結びつき、多くの研究者によって「傍観者効果」として批判されるに至った。そして彼らはこう呼ばれた、「38人の沈黙する目撃者」、と。

 

このドキュメンタリーで主役を務めるキティの弟、ウィリアムもまた、こうした「38人の沈黙する目撃者」の存在を意識しながら、姉の死後50年を過ごしてきた。どうして誰も彼女に手を差し伸べてやらなかったのか、彼女は孤独の中死んでしまったのか…ウィリアムはベトナム戦争に従軍し、両脚を無くした経験がある。友人たちが軍役逃れを試みる中、ウィリアムは自ら志願して海軍に参加していた。それはなぜか。「あの目撃者たちのように、傍観者になりたくはないと思ったからだ」。

 

姉の事件の真相究明を進めるウィリアムは、その過程で驚くべき事実を多数耳にする。「38人」という数字に、はっきりとした根拠は存在していなかったこと、報道関係者たちが、意図的に事実を捻じ曲げていた可能性が存在すること…そして他方で、姉の死にまつわる新たな事実も判明していく。アメリカにとっての神話「傍観者効果」は、必ずしも真実ではなかったわけだ。

 

『38人の沈黙する目撃者』は、ウィリアムの視点に丁寧に寄り添ったドキュメンタリーであり、同時に事実を捻じ曲げる報道関係者や加害者家族の言い分などに鋭く批判を加える作品だ。クローズ・アップを多用する画面づくりを通じて、表情の変化の一つ一つが読み取れるようになっており、適宜映されるウィリアムの面持ちを通じて、観客がうまく感情移入できるように工夫されている。また、事件の概要や目撃者たちの動きを描写するにあたっては線画のアニメーションが用いられていて、リアルな描写を行いつつ、安っぽくない映像づくりができるよう細心の注意が払われている印象を受けた。

構成の面からいっても、インタビューを行う人選もかなりギリギリのところにまで踏み込んでおり、「彼と出会って、果たしてウィリアムがどう反応するのか」という緊迫感を持ったプロット作りに成功している。目撃者たちを訪れ、紳士的な対応を取りながら感情を押し殺すウィリアムの姿や、時折吐き出す彼の無念さに共感できるとすれば、それは単なる映像効果だけでなく、プロットの展開の仕方によるところも大きい。

 

アメリカにおける神話「傍観者効果」、そして「キティ・ジェノヴィーズ事件」という二つの絡まり合うものごとが、インタビューを通じて徐々に崩れていく過程がかなりエキサイティングだ。

内容が内容なので、決して軽い気持ちで楽しめる作品ではないが、向き合った分だけ得るものも大きい作品であるように思う。もし、自分ならどうするだろうか…そんな風に置き換えて見ていくと面白いかもしれない。

 

38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相

38人の沈黙する目撃者 キティ・ジェノヴィーズ事件の真相

 

 (劇中でもかなり批判されていた、ジャーナリスト目線から事件を記録した一冊。今回のドキュメンタリーの元凶みたいなものですね)

 

※『38人の沈黙する目撃者』は、Netflixで好評配信中。

 

2017/12/3