日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

天国と地獄(1963年)

黒澤明が描いた、「若者文化」への一つの答え。

 

天国と地獄(1963年)監督:黒澤明

 

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丘の上の豪奢な一軒家、二人の子どもが元気いっぱいに遊ぶ声が聞こえてくる。靴会社「ナショナル・シューズ」の常務を務める権藤は、会社の経営権を巡って首脳陣と争いを繰り広げていた。次回の株主総会で対立勢力を追い出すべく、私財を投じて株式を獲得してきた権藤は、勝負の鍵を握る取引を結ぶことに成功する。権藤は全財産を担保にして五千万円を用意し、大阪の会社から株式を購入することを決めたのだった。

権藤が今まさに部下を大阪にやろうとした瞬間、居間の電話が甲高い音を立てて鳴り響いた。受話器を取ると、そこから落ち着いた声で、「あなたの息子を預かった。返してほしければ三千万円を払え」という要求が述べられた。息子の身を案じる権藤や妻は動揺し、用意した五千万円から身代金を拠出することを決める。

しかし、なんとそこに、元気そうな顔をした息子が部屋に入ってきた。権藤は驚くものの、愉快犯だったのかと思い、胸をなでおろす。だが、息子によると友達の姿が見当たらないのだという。再び動揺する権藤。誘拐犯は、自分の息子とその友達を間違えて誘拐していたのだった。…

 

 

 

1963年に公開された『天国と地獄』は、黒澤明が監督を務めた誘拐ものサスペンス映画だ。三船敏郎演じる熱量溢れる会社員と、偏執的な誘拐犯、そしてそれを追う冷静な警察官の間で展開されるドラマは、単なる刑事モノの域を超え、資本主義経済への懐疑的視点、そのカウンターカルチャーとしての「若者文化」、そして倫理的問題提起といった当時の時代背景を踏まえ、各方面に深い問いを投げかける内容となっている。

劇中で露わにされる当時の社会情勢、若者の思考というものは、同時代の他作品と比べても一風変わった描かれ方をしている。石原慎太郎太陽の季節』にはじまる「太陽族」の文脈では、自由で奔放、性暴力にすら手を出す若者の姿がしばしば描かれていたが、『天国と地獄』でみられる若者の姿は、そうしたステレオタイプなイメージとは一線を画すものだった。

当時の黒澤は既に『七人の侍』や『隠し砦の三悪人』などを経て国際的に著名な監督としての地位を確固たるものにしており、いわゆる「大御所」だった。映画や文学への造詣が深かった黒澤は、当時の若者の描き方について一定の違和感を持っていたのだろう。「大御所」となった彼が、当時の潮流を意識する形で制作した作品、それが『天国と地獄』である。

 

先日取り上げた『青春残酷物語』に始まる日本の映画の新潮流では、レイプに象徴される性暴力が多く描かれていた。それらの背景には、1950年前後に起こった安保闘争の失敗、そこから新安保闘争に至る闘争の数々に暴力的な性質が秘められていたことが原因であると見られている。すなわち、当時の暴力的な社会運動が映画に反映され、「安保闘争」というある種の若者文化が、顕著な暴力の形をとって映画の中に描写されていった。

『青春残酷物語』の監督、大島渚は、そもそも京大法学部出身、全学連出身の元活動家だ。そうした彼が牽引したといわれる新潮流が、社会批判の要素、暴力要素を強く打ち出していたのは、ある種当たり前のことなのかもしれない。

 

しかし、そうした新潮流の始まりが、そのまま前の世代の終焉を意味するわけではない。例えば、『青春残酷物語』の2年後には小津安二郎が遺作『秋刀魚の味』で変わらぬ作風を維持していた。暴力を打ち出す若者文化が一定の支持を得ていたからといって、その潮流は全ての映画を飲み込むものではなかったとも言えるだろう。

 

ではそんな中、1960年代に「旧世代」の映画監督たちは、新しい潮流にどう反応したのか。「大御所」黒澤明なりの答えが『天国と地獄』であると、赤宮は評価したい。

まず、新潮流と比較した時に目につくのが、その暴力シーンの数の少なさだ。子どもの誘拐という明確な犯罪を扱う作品であるにも関わらず、『天国と地獄』では、全くといっていいほど暴力シーンが存在しない。

若者の怒り、1960年代をもがき苦しむ若者の姿は、確かに繊細に描写されている。しかし、黒澤はその手法として、暴力を採用しない。スクリーンに映し出される人びとの姿にはメラメラと燃える怒りが感じられるが、彼らは拳を振り上げることをしない。その代わりに、各々の目標を達成すべく、なんとかしてやりきれない思いを晴らすべく、ただただ行動する。

 

1960年代を生きる大島渚たち新潮流の映画監督と、既に名監督としての地位を確立していた黒澤明は、同じ1960年代を前にして、異なるアプローチで時代を描くことに成功している。

赤宮個人としては、若者の怒りを示すために、必ずしも暴力の描写が必要であるとは考えない。むしろ暴力を使わず暴力を示すことにこそ、文化の力が存在するのではないかとすら思う。

したがって、両者のアプローチを単純に比較するのであれば、黒澤が『天国と地獄』で見せたアプローチに全面的に賛成したい。『天国と地獄』は誘拐事件という一つの出来事を軸に、直接的でない方法で当時の社会を示そうとした作品だ。

 

 

 

なお、今回の記事では1960年代の新潮流との関連で『天国と地獄』について書いてみたが、本作品はそれだけで語り尽くされるものではない、ということにも触れておきたい。『天国と地獄』は、三船敏郎仲代達矢山崎努らの名演技、黒澤らしい絶妙なカメラワーク、そして卓越した編集技術から繰り出される素晴らしいエンターテインメント性、どこをとっても第一級の名作だ。

 

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2017/11/14