日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

青春残酷物語(1960年)

青春残酷物語(1960年)監督:大島渚


青春残酷物語 デジタル修復版

夜の繁華街。女子高生の真琴(桑野みゆき)たちは、道に停まった車を見つけると、「家まで送ってくれない?」と声をかける。運転手は中年の男。車は動き出し、紳士的に振る舞っていた男だったが、真琴の友人を降ろし、彼女と二人っきりになったあたりで、その態度はなんとなく怪しくなる。気がつくと、車はホテルの前に着いていた。

そんなつもりはなかったの、と嫌がる真琴を、男は無理矢理にでも連れ込もうとする。真琴の手を掴もうとする男、それを振り払う真琴。強情に抵抗し続ける真琴に苛立った男は、彼女の頬を平手で強く打った。怯えた表情を浮かべた真琴に、男はすかさず襲いかかる。

そこに一人の男、清(川津祐介)が通りかかる。学生服に身を包んだ彼は、勢い良く男に殴りかかり、見事真琴を救い出すことに成功したのだが…

 

 

 

『青春残酷物語』は1960年に制作された日本映画だ。一方では激しい性暴力を通じて男女関係を描き、他方では社会に翻弄される若者を描くという、初期の大島渚監督らしい挑戦的な作風が特徴だ。

 

ストーリーは男子学生清と女子高生真琴の関係性を中心に展開する。当時盛んに起こっていた新安保条約に反対する学生紛争の嵐の中、やりきれない思いを抱えた清と真琴が、自由奔放に振る舞うことで社会に抵抗しようと抗っていく。

1960年という時代を踏まえると、『青春残酷物語』で描かれている安保闘争は、いわゆる60年闘争とよばれるものだろう。10年前の日米安保条約を止められなかったという思いからか、闘争に携わる人びとの熱は上がるばかりだ。今日の日本でもしばしばデモの存在を耳にするようになったが、ここで描写される60年闘争は、今日のそれとは比べ物にならない。大学の構内で一人寂しく大音量の演説を行う、といったレベルのものではない。腕を組んでデモを行う人びとの姿は、「これに巻き込まれると死んでしまうかもしれない」と思わせるのに十分な迫力を放っている。

 

主人公である清と真琴は、そうした60年闘争の流れから少し離れたところに居る存在だ。彼らは、大きな流れに乗って世の中に抵抗する、という手段を選ぶことはしない。しかし、人並み以上に社会に不満を抱えていて、そのはけ口をなんとかして見つけたいと思っている。楽しく生きればいい、といった価値観を示しておきながら、その快楽は他人への攻撃を通じてしか実現できない。

男子学生清は、すぐに暴力に頼ってしまう人間だ。恰幅のいい体格をした清は、喧嘩も強いし、頭もよく回る。その分人並み以上にストレスを貯めてしまっていて、そのストレスを何とかするためにいつも苦心している。中年の男を必要以上に殴りつけるし、冷酷な態度で真琴に接するし、時には酒を飲みまくって自分の身を痛めつける。彼は自分の中にあるやりきれない気持ちを常に実感していて、それをごまかすため、なんとか吐き出すために、しばしば暴力に手を染めているのだ。

一方の真琴も、自分の中のやりきれなさを何とかしたいと思って、しばしば破滅的な行動を選択する。夜の繁華街を歩き回るのもそうだし、見知らぬ男の車に乗り込むのもそれだ。先の見えない清との生活に迷わず飛び込むし、かと思えば突然彼と口喧嘩をおっぱじめる。

言ってみれば、『青春残酷物語』で描かれる1960年の若者像は、社会に対する大きな不満を感じつつも、それを変えようとはせず、代わりにその不満を解消しようと奔放に苦心し続ける存在だ。大島監督は、文字通り残酷なほどの性暴力描写を用いて、その若者像をうまく描き出すことに成功している。

 

また、彼らと対比して描かれる、「前時代の若者の成れの果て」たちの姿も興味深い。彼らはかつて社会主義運動に青春を捧げた二人組だが、理想は遠く消え、今は見るも無残な生活を送っている。あばら家のような建物で診療行為を行う男、自身を正当化し新しい世代を嫌悪する女、その姿には理想の光はもうなく、観ていてただただ虚しさだけが残る。

こうした二人の前時代の若者の姿が、結果として主人公たち二人の先行きを暗示しているのが面白いところだ。確かに、社会を変革しようとした者と、社会に背を向け快楽に身を任せようとする者とでは、表面的には大きな違いがある。しかし、彼らを突き動かす原動力に目を向けてみれば、そこには共通点がある。それは若さ、青春の若さだ。若さゆえに社会を変えられると思った者、若さゆえに人生を全力で謳歌できる者、彼らはともに、一つ大きな勘違いをしてしまっていた。その原動力が無限に続くと思っていたのだ。現実には、年をとるにつれて社会を変えられないことを知ってまい、そして人生をいつまでも謳歌し続けられないことを知ってしまうのだろう。ここに青春の残酷さがある。

 

後半、こうした二つの世代が正面から衝突するシークエンスが、『青春残酷物語』の見どころだ。前世代に若者だった者たちは、今の世代の若者に対して、助言めいた何かを伝えようとする。もちろんそれは、今の世代の若者に伝わることはない。彼らはまだ若者で、若さが失われることを信じていないからだ。

そしてストーリーは終局に向かって急速に展開していく。

 

強烈な性暴力描写はかなり人を選ぶところがあると思うが、それでもこの『青春残酷物語』が、1960年代の若者像を中心に物語を展開した激烈な作品であることは間違いない。

2017/11/7