日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

巨人と玩具(1958年)

巨人と玩具(1958年)監督:増村保造


Giants And Toys - Song & Dance Number

(予告編見つからなかったので、挿入歌)

 

ワールド製菓の西(川口浩)は、ラグビー部出身の熱血体育会新入社員。同じくラグビー部出身の合田課長(高松英郎)に気に入られ、宣伝部のキャラメル販促プロジェクトに携わることになった。もうすぐ、キャラメル業界は特別販促期間を迎えることになっており、業界全体が熱狂的な宣伝ムードに包まれていた。ワールドも競合他社であるジャイアンツ、そしてアポロに遅れをとる訳にはいかない…そうした雰囲気を危惧したワールド重役会議は、合田を中心とした営業部に画期的なキャラメルの「おまけ」、そして魅力的なイメージガールの起用を要求する。

茶店で落ち合った合田と西は、たまたま通りかかった少女、島京子(野添ひとみ)に白羽の矢を立てる。庶民的であり、垢抜けていない京子の魅力に注目した合田は、彼女をスターに仕立て上げ、イメージガールとして起用することを目指す。一方で、子供に人気のある宇宙服をキャラメルの「おまけ」とすることを決定し、京子と宇宙服、なんともへんてこなキャンペーンが始まった。…

 

『巨人と玩具』について、大切なことは先に言ってしまおう。『巨人と玩具』は、高度経済成長期の日本の企業社会を描くとともに、マスメディア論やジェンダー論、そして過労問題まで、現代にまで残る日本の病根を抉り出していく作品だ。要約すると凄い。

 

ストーリーは仕事に人生を捧げる上司の合田と、その姿に憧れる部下の西、そして新人アイドルの京子を中心として進んでいく。宣伝部に関わる彼らはワールド製菓の業績向上のため、「おまけ」を作り、販促活動を行い、プライベートを犠牲にして仕事に取り組む。競合他社に所属する西の旧友や、ライバルの魅力的な女性社員などとの駆け引きを通じて、「一つでもキャラメルを多く売る」ことを目指し、宣伝部一丸となって仕事に打ち込んでいく。

やがて、各人にさまざまな成功がもたらされていく。他方で成功することは成長することと同義でもある。作品のヒロイン京子は、オタマジャクシを飼っているという奇妙な一面を持つ。しかし、そんな子供っぽい彼女もいつかは成長して蛙になる。いつまでたっても井の中の蛙ではいられない。そしてそれは合田も西も同じなのだ。後半のストーリーは、社会という大海に直面する三人の変容を色濃く描いている。

 

そんな主人公三人のキャラクターがとにかく良い。典型的なデキるビジネスマンの上司の合田、熱血系社員の西、あどけない下町娘の京子という三人組は、見ていてとてもバランスがいい。誰が一人欠けても成立しない明るい雰囲気をストーリーに与えている。
しかし、そうした明るいキャラクターの雰囲気が前半で示されているからこそ、雲行きの怪しくなる後半でのキャラクターの変化が目立つようになっている。前半では理想の男性像を体現していた上司の合田は、物語が進むにつれて顔色を悪くしていく。あどけない下町娘だった京子は、芸能界での成功とともに劇的に変貌していく。そんな二人に挟まれて、ただ一人変わらないのが部下の西だ。彼だけは持ち前の熱血で右往左往する。しかし、彼は単なる馬鹿な熱血男ではない。社会という大海の中で変化を認識しつつも、自分は変わりたくない、と必死でもがいていくのだ。

 

そして、そうした素敵なキャラクターたちが、日本という社会でもがいている姿があまりにも物悲しい。間違いなく印象に残るのは、オイルライターの火打ち石、あのカチャリカチャリとした音が、機械の動き、企業の動き、消費者の動きと重ね合わせて映されるシークエンスだ。カチッ、カチッという音に合わせてキャラメルが製造され、人びとが右往左往し、消費者はキャラメルを買い求める。こうしたプロセスはそれぞれ別個に映されるものの、ライターの音を通じて相互に関連していく。企業活動は機械のように見えるし、消費者の動きも企業の動きと変わらない。ただただリズミカルに、どこか悲しく動き続けるだけの存在なのだ。

終盤、キャラクターたちは自分たちの置かれていた状況、気づかないうちに足を踏み入れていた大海の恐ろしさに気付き始める。彼らはそれぞれのやり方で大海と向き合っていく。覚せい剤に手を出す者、狂乱的に笑う者、そしてそこから逃れたいと願う者。とっくの昔に大海を受け入れた人びとと関わりながら、彼らは彼らなりの大海の生き方を心得るか、もしくは矯正されていくのだ。

 

半世紀以上前に作られた『巨人と玩具』のメッセージは、皮肉なことに現在よりあてはまるものとなっている。作中、仕事に身を捧げ身体を壊していくものたちの姿は、私たちが昨今目の当たりにした過労死問題をダイレクトに体現しているように見える。どうしようもない無理難題を押し付けられ、それでもなおその問題を解決しようとすれば、当然ながら何らかの綻びが生じてくる。

そうした状況を、『巨人と玩具』の合田も西も十分に認識している。「頑張りすぎると」、大切なものを失ってしまうかもしれない。合田は、自分の身に起こっている異変を認識し、絶望的な状況を前にしながら、それでも大声で叫ぶのだ。「日本に住んでいるのだから仕方ないだろう。ここはそういう国なんだ」、と。

どうしようもない状況、変えられない世界を前にして、個人に何が出来るのだろうか。この問いに対して、京子、そして西は、歩んだ道のりこそ違えど、それぞれが共通の答えを見つけ出す。日本の資本主義という大きな、強大な秩序を認識し、それでいてなお生きようとする西はどう立ち向かっていくのだろうか。クライマックス、京子も西も、その選択を言葉で示すことはしない。ただただ表情一つで、誰にでも分かるような形で提示するのだ。

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 2017/10/31