日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

自転車泥棒/Ladri di Biciclette(1948年)

自転車泥棒/Ladri di Biciclette(1948年)監督:ヴィットリオ・デ・シーカ


自転車泥棒 / LADRI DI BICICLETTE / The Bicycle Thief

第二次世界大戦後のローマにて、やっとの思いでチラシ貼りの職を見つけたアントニオ(ランベルト・マジョラーニ)。しかし、雇用する条件として自転車を用意する必要があるといわれた。経済的に苦しい状況にあるアントニオに、高価な自転車など買えるはずもない。アントニオの妻マリア(リアネーラ・カレル)は、夫の思いを汲んで、家財道具を売り払うことを決意する。嫁入り道具の上等なシーツがそれなりの高値で売れたので、晴れてアントニオは自転車を手に入れることができた。

制服を着て、意気揚々とチラシ貼りの仕事に勤しむアントニオ。今日もローマの街の壁に大きなポスターを貼っていく。早く一人前にならなければ、と思いながらポスターを貼っていく。

アントニオは、ポスターを丁寧に貼ろうとして、自転車から目を離してしまう。それがまずかった。一人の男がコソコソとやってきて、アントニオの自転車にまたがり、すごい速さで走り去ってしまったのだ。自転車を盗まれたことに気づいたアントニオは慌てて男を追うが、時は既に遅く、都会の街並みに男は消えてしまった。…

 

自転車泥棒の街京都で学生時代を過ごした赤宮にとって、自転車泥棒は他人事ではない。コンビニを出たら自分の自転車が見つからない、という出来事に何度か遭遇したことがある。そういう時は諦めて中古の自転車を購入することになり、経済的に恵まれていなかった当時の自分はきわめて落ち込んだものだった。

とはいえ、懐を痛めれば普段通りの生活を取り戻せるわけだから、今考えればそれほど大した出来事ではなかったのだろう。実際、中古の自転車も、街を走るだけなら悪い代物ではない。

だが、盗まれた自転車が、自分にとって唯一無二のものであったとしたらどうだろう。生活の支えであったとしたらどうだろう。落ち込むどころでは済まなかったはずだ。声をあげて泣き、どうにもならない怒りを感じたに違いない。

そんな、唯一無二の自転車が盗まれたという些細な事件を丹念に扱った映画がある。第二次世界大戦後に制作されたイタリア映画、『自転車泥棒』のことだ。

 

「自転車を盗まれた」という、言ってしまえばよくありそうな話を、『自転車泥棒』は人間性にまで踏み込んだ高度なストーリーに仕立て上げている。自転車を盗まれたアントニオは、仕事を失ってしまうという恐怖から、子どもを連れ、必死になって自転車を探す。しかし、手がかりを見つけても、犯人らしき人を見つけても、自分の自転車はどうしても見つからない。

その過程で、アントニオは都市の無関心さを否応なく体感することになる。自転車を盗まれたとき、必死になって泥棒を追いかけても、街ゆく人びとはまったく興味を示さない。大声でアントニオが叫んでも、誰も助けてくれないのだ。

そしてアントニオは、仕事のため、家族のため、ローマの街を探し回る。市場に並ぶ膨大な自転車を一つ一つ調べていくアントニオの姿は、見ている人びとの心をうつものがある。

必死の捜索の甲斐あって、アントニオは少しずつ自転車泥棒への道筋を辿っていく。けれども、その先にハッピーエンドが待っているとも限らない。シンプルな娯楽映画であれば、誰もが嬉しくなるような結果が待っているのだろうが、ドキュメンタリー的な『自転車泥棒』はリアリティある展開を提示する。

実際のローマでロケーション撮影(スタジオやセット撮影でなく、実際に存在する場所で撮影を行うこと)された映像は、復興して間もないローマの経済状況をどんよりと描写している。まるで当時のドキュメンタリー映画を見ているような気分になり、そのリアリティを通じて観客はいっそうアントニオたちに感情移入することができるのだ。

 

作中終盤のアントニオの葛藤を巡る展開は、自転車を盗まれた人びとなら誰もが感じるやるせなさを正確に描写している。巨大で圧倒的な都市の中で、誰も自分に関心を払ってくれないのなら、自分だって何をしてもいいはずだ。いや、やはり、そこまでのことは許されないのではないか。

しかし、圧倒的な都市の力は、そんな葛藤など気にもしない。ただ踏み潰すのだ。

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2017/10/26