日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

ゼロ・グラビティ/Gravity(2013年)

ゼロ・グラビティ/Gravity(2013年)


映画『ゼロ・グラビティ』予告1【HD】 2013年12月13日公開

医療技師として宇宙ミッションに参加したライアン(サンドラ・ブロック)は、上司のマット(ジョージ・クルーニー)らとともに船外活動にあたっていた。そこに突然、無数のデブリ宇宙ゴミ)が襲来してくる。ライアンらのスペースシャトルエクスプローラー号は大破し、ライアンとマットを除いた船員は死亡してしまった。

宇宙空間に放り出されたライアンたちは、船外活動ユニットを駆使して真っ暗な宇宙の海を泳ぎ、ISS国際宇宙ステーション)に接近していく。だが、船外活動ユニットの燃料が切れていたこともあり、二人は殆ど減速できないままISSの外壁に衝突、そのまま弾き飛ばされてしまう。ライアンは偶然開いていたパラシュートのワイヤーに足を引っ掛けることで九死に一生を得るが、彼女とロープで繋がれたマットは減速できず、ISSから宇宙の果てに飛び出そうとしている。必死で命綱を手繰り寄せようとするライアンだったが、マットは彼女の命を助けるため、ロープのフックを外そうとする。…

 

ゼロ・グラビティ/Gravity』*1は、宇宙空間における恐ろしい事故と、それに立ち向かう女性の力強い姿を描いた作品だ。作品は主人公たちの顔を除いてほぼ全編CGで制作されている。

とはいえ、『ゼロ・グラビティ』は、CGとその世界観に頼り切った安易な作品ではない。俳優陣の表情による演技の細かさは見事の一言だ。まるで実際のドキュメンタリー映画のように撮影されたこの作品は、私たちにとって縁遠い無重力の世界を身近に描くことに成功している。

また、次々に発生する事故や苦難、それに対する主人公たちの意識やその変化は、一流のサスペンス作品としての側面を示している。例を示すと、観客は、序盤のデブリ襲来で「宇宙では何が起こるかわからない」という危機感を登場人物たちと共有する。こうした危機感があるために、私たちはその後起こりうる宇宙空間での事故について不安を感じ、作品の展開について期待を抱くようになるのである。

物語構成はオーソドックスながら力強いものだ。主人公ライアンは娘を亡くしたという過去を背負っており、作中中盤に至るまでどこか無気力な一面がある。それが事件や別れを通じて「再誕」し*2、1人の強い女性として地球への帰還を目指すようになる。

このブログでは何度か述べていることだが、最新鋭の技術を用いる作品において大切なことは、その技術以外については可能な限り保守的であろうとすることだ。あらゆる面で革新的な作品は観客にとって受け入れがたいところがある。*3

その点、『ゼロ・グラビティ』は、普遍的なテーマと革新的な宇宙表現を組み合わせるという素晴らしい方式を採用している。私たちは宇宙の恐ろしさを身をもって体験すると同時に、ライアンの女性としての強さに心惹かれることになるだろう。

 

個人的には、ライアンがISSのユニットを修理しようとするシーンで、カメラの方向をスッ…と見つめるシーンがお気に入りだ。サンドラ・ブロックがスクリーン越しにこちらを見た瞬間、私たちは、まるで他人事のように劇中の出来事を眺めていたという事実に気付かされる。彼女は特に、何か言葉を発するわけではない。しかし彼女の表情、1人の人間として、恐れを隠し必死で生還しようとするその表情を見てしまうと、私たち観客も、その後の物語を当事者として体験せざるを得ないように思うのだ。

 2017/10/17

*1:原題と邦題で意味が真逆になっている。作品のテーマを考えれば原題のほうが遥かに優れているだろうが、邦題の方が観客の興味を上手く惹きつけているようにも思う。

*2:ISSに到着してヘルメットを外すシーンで、彼女がどのような姿勢を取っているか、ぜひ注目してほしい。

*3:例えば、クリストファー・ノーランインターステラー』は映像面でもシナリオ面でも革新的だったが、その分インパクト重視になっている感は否めず、『ゼロ・グラビティ』と比べると普遍的な評価は獲得しづらいように感じられる。