日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

愛より愛へ(1938年)

愛より愛へ(1938年)監督:島津保次郎

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愛より愛へ So Goes My Love (1938)

 

裕福な家庭に育った茂夫は、長男であったために、恋人の美耶子との結婚を認めてもらえずにいた。職を探しながら作家を目指す茂夫だったが、その原稿料はわずかで、とても生活を支えるには至らない。代わりに、美耶子が女給として熱心に働き、二人の生活費を稼ぎ出していた。

恋人に養ってもらっている気恥ずかしさからか、茂夫は叔父のコネを使って職を探し始めた。すぐに新聞社の仕事を紹介されたものの、雇用する条件として、茂夫が美耶子と別れて実家に帰るよう要求されてしまう。怒ってその場を後にした茂夫だったが、このままでは、恋人に養われている現状は変わらない。悶々とした思いを抱えながら、喫茶店に入った茂夫。そこで偶然、妹の敏子と遭遇することになる。…

 

島津保次郎1920年代から40年代、日本の戦前を代表する映画監督の一人だ。代表作は『隣の八重ちゃん』、日本のごく平凡な家庭で起こった出来事をありのままに描く作風で知られる。

『愛より愛へ』は、実家を飛び出し作家を目指すダメ男と、それを健気に支える女性の物語だ。加えて、ダメ男の叔父や妹が登場し、彼らの行動が二人の関係性に変化を与えていくことになる。

島津は平凡な出来事をありのままに描く。ということで、『愛より愛へ』は少し退屈な映画だ。父親の権威に抗う息子であるとか、甲斐甲斐しく支える女性であるとか、これまた平凡な登場人物がたくさん出てくる。

 

こうした平凡さは、一見すると作品を退屈にするように思うかもしれない。確かに、観客の予測通りに進む話の筋や、登場人物の行動に注目すれば、なるほど退屈な映画と言えるだろう。*1『愛より愛へ』は、絶妙なサスペンスであるとか、予想を裏切るサプライズを期待する作品ではない。

ただ、赤宮の見た限りでは、島津の平凡さは、かえって作中の映像的な細やかさや、登場人物の所作に注意を促す効果をもたらしているように思う。

例えば、茂夫と妹、そして美耶子の三者が集まる場面では、それぞれの登場人物の関心や気配りが、クローズアップを駆使しつつ丁寧に描かれている。気まずい雰囲気を早く終わらせたいと願う茂夫の行動、初めて見る「アパートぐらし」に興味津々の妹、そして茂夫と妹を気遣う美耶子の細やかな心遣いを、自然に感じ取ることができる。

そして、平凡な物語が続くからこそ、最終盤、茂夫と美耶子の間で起こる美しい会話に対して、観客は自然に共感することができる。少々クサいと思われても仕方ない会話を、微笑ましく眺めることができるのは、それまでの流れがあってこそ、なのだと思う。

 

下手に観客の気持ちを刺激するくらいなら、もうやめてしまえ、とでも言うかのように、島津は庶民の温かい生活を淡々と描写し続ける。後に「ホームドラマ」としてジャンル化される島津の作品は、集中して見るには少々物足りない作品かもしれない。しかし、夕飯を食べながらぼんやり見るにはうってつけの作品だろう。 

愛より愛へ [VHS]

愛より愛へ [VHS]

 

 (ブルーレイはともかく、DVDが無いとかいう緊急事態)

 2017/10/11

*1:一方で、日本文化に興味を持つ外国人には、島津の作品を「刺激的だ」として好む人びとも居るようだ。私たちにとっては平凡な日常でも、彼らにとっては見慣れないエキゾチックな光景に映るのだろう。ちょうど、私たち日本人が、時にアメリカのホームドラマを楽しむのに似ているかもしれない。