日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

22年目の告白−私が殺人犯です−(2017年)

22年目の告白−私が殺人犯です−(2017年)監督: 入江悠


藤原竜也×伊藤英明、ダブル主演!『22年目の告白-私が殺人犯です-』初映像公開!

「最後の時効成立殺人事件」である22年前の連続殺人事件。その犯人である男が、その時効成立を機に、なんと自らの犯行について記者会見を行うという。男の名は、曽根崎雅人。彼は、自分が連続殺人事件の犯人であることを告白するとともに、その手記を出版することを発表した。突然の出版発表に、日本全国が熱狂していく。しかし、被害者の遺族たちや、かつて事件を追っていた牧村刑事は、その様子を複雑な心境で見つめていた。

法で裁けないならと、一部の遺族たちの中には、実力行使で曽根崎の命を奪おうとする者も現れ始める。混乱する状況の中、有名ニュースキャスターの仙道が、当事者を集めたテレビ番組での公開生討論を提案する。牧村や曽根崎はこれを了承。しかし、そこで待ち受けていたのは、誰も予想していない、新しい事実の存在だった。…


藤原竜也伊藤英明主演のサスペンスもの。韓国映画のリメイクらしいが、おそらくあの、例の手記出版を巡る混乱も念頭に置いた映画だと思う。「22年前の連続殺人事件の犯人が手記出版、芸能活動を始める」…見出しが確かに面白い。惹かれて見始めてしまった。

 

藤原竜也はイケメンなので、この映画で彼が演じる曽根崎も、かなりのイケメンとして称えられることになる。ネットでは彼を崇める声が多数上がり、サイン会にはたくさんの曽根崎ファンが集まり、曽根崎は「ソネ様」として崇められる。おそらくまあ、「殺人鬼に熱狂する日本人」とかいう、「ありそうな日本人の愚かな姿」を描いたシークエンスなのだろう。

ただし、このあたりに違和感たっぷり、というのが赤宮の感想だ。例えば、一般的な感覚として、いくら連続殺人犯がイケメンだったからといって、彼のサイン会に足を運ぼうと思うものなのだろうか。ネット上で「この犯罪者イケメンwww」とか草を生やすことはあるかもしれない。だがまず、この「この犯罪者イケメンwww」が本心からなされたものなのだろうか。ただ単に面白がっているだけではないのか。あるいは、仮にそれが本心だったからといって、人目を気にせず、殺人犯のサイン会に足を運ぶなんてことがあるものだろうか。そもそも近づき難いし、勇気を出して行っても、万が一そこで知人に出くわそうものなら、この上なく恥ずかしいに決まっている。赤宮なら、その気恥ずかしさを恐れてサイン会には行きたくない。

何が言いたいかというと、この作品の問題として、現代日本を取り扱う作品であるにもかかわらず、その描写にリアリティが足りないのだ。そしてそのリアリティ不足は、制作側の偏見か、観察不足に起因している。「今時の日本人は、ネットでこういう反応をして、こういう行動を取るよね」というステレオタイプを、制作側が安易に受け入れてしまっているように見える。深堀りが足らない。

こうしたリアリティ不足は、ネットに関する描写だけではない。被害者遺族、マスコミ、警察、どの当事者の行動についても、どこかステレオタイプじみた行動を取る人たちが多い。「この立場の人はこういう反応を取るよね」という予想が悉くその通りになる。観客の感覚に寄り添った作品作りとして、これは決して悪いことではない。しかしまあ、ここまで予想通りの行動や会話が続くと、どこか「これ見る意味あったのか…?」という気分に襲われてしまう。

ステレオタイプな人びとから構成される作品は、どうしても彼らそれぞれの個性を軽視する結果になってしまう。現実に存在する人間は、マクロで見ればステレオタイプな分析で理解可能かもしれないが、ミクロで見たときには千差万別、その人だけの個性が何処かに見えるものだろう。ステレオタイプな描写はこうした個性を見落としてしまう。その結果、現実とはどこか違うちぐはくな作品が生まれ、全体としてリアリティを欠いたものが出来上がってしまう。

これは大問題だ。リアルな事件を扱い、サスペンスを生み出そうとしているはずの作品が、その面白さの根底にあるリアリティを不足させている。そして、このリアリティ不足がそのまま作品の質に直結してしまう。現代日本を舞台とする作品にあって、リアリティ不足は致命的なものとなりかねないのだ。

こうしたリアリティ不足は、物語の筋や展開についても散見される。突っ込みどころが多すぎるのだ。最終盤の展開も予想がつきやすいものであるわりに、説得力は薄い。このような作品でよくある「衝撃の展開」というのは、序盤からしっかりと伏線を張っているからこそ、説得力を持たせつつ観客にサプライズを与えることができる。その点、この作品ではそういったカタファーがほとんどない。念のためもう一度ざっくりと作品を見直したが、序盤と最終盤で若干矛盾する展開が生じている点など、脚本上のミスと思える点も目立つ。素材が良いだけに、惜しいところが多すぎるのだ。

 

とはいえ、フォローしておくと、個々の場面の描き方、手法については、面白いところもある。実際のテレビ番組の形式(『情熱大陸』や『報道ステーション』に似た番組が多く登場する)を用いて、架空の事件を描くという方法は悪いものではない。観客は、普段自分たちが触れているニュースと同様の枠組みを通じて架空の事件に触れることで、フィクションの世界を身近に感じる、そういう工夫なのだろう。
とはいえ、肝心の描写対象のリアリティを掘り下げないままに描いてしまったために、こうした手法も機能しているとは言い難い。確かに、描写対象を上手く撮影している。しかしそもそも描写対象にリアリティがない以上、「大したことないものをしっかりと描く」という、あまり喜ばしくない結果を導いてしまっているのだ。

 

この作品中の見どころは、先に述べた一部の描写手法と、俳優陣の演技、この2つである。

見どころは藤原竜也伊藤英明の演技だ。着実にキャリアを積み、俳優として円熟しつつある彼らの演技は、見ていてとても安心する。さすが『デスノート』や『テラフォーマーズ』で鍛えられているだけある。どんな脚本であろうと、文句一つ言わず、期待された仕事を、彼らはこなしきっている。作品を見終えた後、赤宮に「何はともあれ、藤原竜也伊藤英明は良かったな」と思わせた以上、この作品は彼らの勝ちということでいいだろう。どんな作品、どんな脚本であろうと、任された仕事をしっかりとやりきる彼らの姿勢に、日本の役者としてのプロ根性を見た思いがした。

 2017/9/30