日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

Birthright(1938年)

Birthright(1938年)監督:オスカー・ミッチョー

 

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Birthright (1938, trailer)

 

黒人差別が色濃く残る、20世紀初期のアメリカ。ハーバード大学で博士号を取得したピーターは、自分の出身地である南部に帰郷し、黒人の子供のための学校を作るため奮闘する。白人たちは、黒人でありながら高等教育を修めたピーターの活動を苦々しく思っている。また、黒人コミュニティの人びとも、子どもたちが教育を受け、南部を離れてしまうことを恐れ、ピーターの活動に反対する。

様々な障害もあって、ピーターの努力はなかなか実を結ばない。ところが、突然町一番の有力者が、ピーターに興味を示し始めた。一体どうなってしまうのか。…

 

オスカー・ミッチョーはいわゆる「奴隷の子供」として生まれた。彼の親は、黒人差別が法律上許されていた時代に、奴隷としてアメリカで育った人物だった。その影響を受けたのだろう、ミッチョーの作品のテーマは、黒人差別問題に焦点をあてたものが多い。

「Birthright」もその1つだ。この作品は1922年に書かれた小説を原作にしているのだが、実を言うと、ミッチョーはこの映画を二度発表している。ミッチョーは、1924年、サイレントの時代に「Birthright」を作成した。そして1938年、キャリアの晩年に差し掛かった頃、ミッチョーは再び「Birthright」を発表するのである。今度はトーキーで。

キャリアの初期と晩年に、ミッチョーが同一の作品を二度も作成していたという事実が、彼の黒人差別問題に賭ける思いを示していると言えるだろう。

 

とはいえ、そうした思いがあるからといって、作品が面白くなるわけではない。

トーキー初期の作品ということもあって、映像がとにかく退屈なのである。殆どの場面は登場人物の会話を中心に進んでいくが、立ち姿がまるで漫才のようで緊張感がない。話している内容は「あの黒人をぶっ殺してやる」だとか、「俺達の縄張りを荒らすやつは許さねえ」といった物騒なものばかりなのだが、いかんせんすべて井戸端会議の範疇を出ていないの。1930年代といえば、ヒッチコックは既に「The man who knew too much」でサスペンスの絶頂に達していたし、赤宮たちに馴染み深い日本映画でも、小津や溝口が繊細な映像を作り出すことに成功していた。こうした同時代の他作品を踏まえると、「Birthright」が1938年において「映像として面白くない」ことが、致命的な欠点であるように思える。

確かに、要所要所のメッセージ性は強く心に残るものがある。黒人コミュニティのために力を尽くすピーターが黒人コミュニティから拒絶される場面や、白人たちの思惑から黒人が黒人を攻撃する場面などには、ミッチョーの黒人としての強いアイデンティティが垣間見える。この作品を「ハリウッドで」作成したことには、同時代の黒人差別を踏まえると極めて価値があるものだと評価できるだろう。ミッチョーは生真面目な監督なのだと思う。彼の伝えたいメッセージはひしひしと伝わってくる。

けれども、映画は映画だ。メッセージを伝えて、ハッピーエンドにすれば、それで終わり、というものではない。見ている側としては、映像を見る楽しみがほしい。いくら重要な映像でも、井戸端会議ではつまらないところがある。

 

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2017/9/21