日刊映画日記

赤宮です。楽しく映画を語ります。ネタバレは少なめ。

一人息子(1936年)

一人息子(1936年) 監督:小津安二郎

 

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The Only Son (1936) Theme

 

 

「人生の悲劇の第一幕は親子になったことにはじまってゐる」

 

1923年の信州。母おつねと、息子良助。おつねは製糸工場で働き、良助は小学校に通っている。父は亡くなっており、暮らし向きは良くない。ある日良助は、担任の先生から中学校進学を勧められたことを打ち明ける。おつねは、家計上そんな余裕がないことをほのめかしながらも、良助が何と答えたのか、探りを入れる。良助は、一言、「黙ってた」と答えた。

そこに丁度、担任の大久保先生がやってくる。「いやあ、お母さん、良い決断をなされました。良助くんを中学校に進学させる決心をなされたとか」大久保先生の予期せぬ発言におつねは困惑するばかりだ。そんな気持ちも知らぬまま、大久保先生は語り続ける。「いや、これからの時代、学問がなければやっていけませんから。かくいう僕も、東京に戻って勉強したいと考えているんですよ」……

大久保先生がその場を去った後、おつねは良助を呼び出し、平手打ちを食らわせる。一体どういうつもりなのか。良助を問い詰めるも、その表情から、強い意思が消えることはない。おつねはとうとう根負けし、良助の進学を認める。良助もおつねの気持ちを汲み取り、「俺きっと偉くなる」と将来の成功を約束するのだった。

 

時は流れて、1936年の東京。立派になった息子の姿を見るべく、おつねが上京してきた。タクシーに乗る親子。背の高い建物の間を通り抜けて、車は進んでいく。良助は、おつねの道中の苦労を気遣う。それほどの苦労でもないと答えつつも、おつねも、息子に心配されてまんざらではない様子だ。二人の顔にははちきれんばかりの笑顔が浮かんでいた。車は隅田川を渡り、少しずつ街を離れていく。

ようやく車は到着した。期待に反して、もの寂しげな場所だ。「うちは原っぱの向こうにあるんです。散歩しましょう」と良助は言う。原っぱの向こうには、郊外らしく長屋が並んでいる。おつねの足取りが、少しずつ重くなる……

 

 

 

20代も半ばになると、長い間努力したのに、たくさん頑張ったのに、報われないことが増えてくる。周囲の人たちを見ていても、誰もが、何かしらの失敗を犯している。大抵の場合、どこかの受験でつまづくであるとか、就職活動で失敗するだとか、そういうものがある。一見順風満帆なキャリアを歩んでいるようでも、何か深刻な失敗を抱えていたりする。

その失敗の結果、若くして人生を諦めてしまう人がいる。自分には才能がなかった、やれることはやった、自分なりに頑張ったのだから、失敗は仕方ない、言い回しこそ違えど、こういう言葉を耳にする機会は数多い。

 

「一人息子」は、若くして人生を諦めかけている息子と、その母親の物語だ。中学校から更に進学し、上京までした良助は、今では夜間学校の教師として、家族三人分の糊口をしのいでいる。恐慌を経た東京の経済状況は厳しく、思うように職を得ることも出来ない。授業の態度にも、どこか形式張ったところがあって、とても思い通りの人生を歩んでいるようには見えない。

「僕はやれるだけのことはやったんですよ」

母親も、自分の期待と、現実との間に、著しい隔たりがあることを知っている。それでも、母親は母親であることを止めない。励まし続けることを止めない。自分の期待がどれほどまでに裏切られようと、若い息子のことを信じ続ける。

 

上京だとか、留学といった挑戦を行っても、それがその後の人生を保障してくれるわけではない。輝かしい大学に通って、海外経験を積んでも、その後の成功を約束してくれるわけではない。失敗や挫折は頑然として存在する。思い通りにならない事は山ほどある。

「一人息子」で描かれる親子関係は、そうした苦難に向き合う1つの方法を提示してくれる。様々な人の支えがあることで、人は大きな課題に挑戦することができる。それは事実だ。そこで失敗したからといって、支えてくれた人びとを裏切ることにはならない。だが、一度の失敗に挫けてしまい、次なる挑戦を諦めることになれば、それこそは彼らを裏切ることになるのではないだろうか。

 

小津作品の描写は繊細で多義的で、人それぞれの楽しみ方を許容する。赤宮の今記事は、数ある受け取り方の1つにすぎない。誰が見ても、その人だけの楽しみがある。

「小津作品?名前くらいは知ってる」ではあまりにもったいない。

 

一人息子

一人息子

 

 

2017/9/19