はじめに
こんにちは。赤宮です。
「おそらく日刊映画日記」は、赤宮の映画体験などを共有するブログです。
赤宮は、京都大学を卒業し、同大学院で1年半政治思想や国際関係を学んだ後、
現在、「トビタテ!留学JAPAN」6期生として、アメリカのウィスコンシン大学マディソン校にて、「ジャーナリズム留学」の日々を送っています。
はて?ジャーナリズムと映画に、いったい何の繋がりが?
そう思ったあなた。その気付きはとてもまっとうなものです。
ウィスコンシン大学マディソン校では、ジャーナリズムやメディアを学ぶにあたって、映画の存在を非常に重視しています。
同大学のメディア学部では、「映画」に注目してメディアを考える科目が数多く開講されています。
その数、なんと50弱。中にはいわゆる「必修科目」に近い科目も存在しています。
同大学からマスメディアやジャーナリズムの道に進みたい学生にとって、「映画」は避けて通れない道となっているのです。
(MARCUS CINEMA。マディソンには古き良き映画館がたくさんあります)
メディア学部が映画を重視する方針を、大学は多大な援助を通じて支援しています。
大学構内には複数の映画館が設置され、学生は無料、もしくは低価格で映画を鑑賞することが出来ます。
ラインナップは多種多様。最新作から、戦前期の日本映画(!)まで、週替りで上映会が開かれています。
(大学構内の映画館の1つ、3155 Vilas Hall。主にMovie Assignmentの上映会に用いられる。こんな見た目ですが、立派な「講義室」。入口には「No popcorn and beverage」の注意書きがあります)
毎週映画ばかり見るなんてなんて羨ましいんだ!という声が聞こえてきそうです。
しかし、学生たちも、こうした環境を甘受するだけではありません。
各科目の教授は、週一回の上映会(通称、Movie Assignment)に先立って、上映される映画に関する読書課題を与えます。
その量、少なくとも50p(もちろん、全文英語です!)。
これに加えて、通常講義やゼミの予習も別にこなすことになりますから、上映会の頃には、学生はみんなヘトヘトです。
教授たちは、口を揃えて言います。「映画は単なる娯楽ではない」。
もちろん、映画は楽しいものです。
週末の夜、
友人や恋人と、
ポップコーンとコーラを片手に見る映画の幸福感。
しかし、それが映画のすべてかと言われると、そうではありません。
孤独に、真摯に映画と向き合うことで見えてくるものもあります。
(Created by Forsaken Fotos)
映画の場面ひとつひとつには、その時代を生きた監督、俳優、スタッフたちの、細かな息吹が潜んでいます。
その息吹を、単なる楽しみとしてだけ消費するのでは、あまりにもったいない。
映画とは、どのように撮影されているのか。
その技法を通じて、映画は何を表現しようとしていたのか。
その映画が、どのような時代背景に結びついてるのか。
21世紀に生きる私達が、映画という過去から何を得ることができるのか。
視点を少し変えるだけで、映画の可能性は無限に広がっていきます。
赤宮が参加した最初の講義で、深く印象に残っている言葉があります。
「映画の可能性を探求することは、社会を見る目を養うことだ。」
映画に関する科目を履修した学生が全員、映画産業に携わるわけではありません。
新聞、テレビといった既存メディアや、ウェブを中心に拡大する新興メディア、はたまた他の業界に関わっていく学生が多数でしょう。
しかしそれでも、映画を通じて身につけた、「社会を見る目」。
それは、映画産業にとどまらず、ありとあらゆる業界で求められるものではないでしょうか。
こうして、ジャーナリズムを学びに来たはずの赤宮は、映画を見ることになりました。
それも、たくさん。
今回の留学は、「トビタテ!留学JAPAN」という国家プロジェクトの支援を受けて行われています。
赤宮は、国から奨学金をもらっている以上、自分の留学体験を共有しなければならないという責任感を、強く感じてきました。
何が共有できるだろう。
自分にとってそれは、映画体験なのだと思います。
映画とジャーナリズム。できる限り継続して、記していきたいと思います。